新型コロナウイルスで見えた山形大学の本性

(注意)この文章は過激な表現を含みます。不快感を感じたくない方は閲覧をお控え下さい

 ひとたび騒動が起こると、人間は本性を表すとよく言われます。
 いままでおとなしかったのに、無難に過ごしてたのに、騒動が起きるとなぜか欲望を丸出しにして、人を押しのけてでも自分のものにしようとする、そんな人は結構います。そんなにはいませんが。
 勤め先でそんな光景を見るかもしれませんし、また勤めていない時でも、スーパーで買い物をしてる時に、そんな光景を見るかもしれません。
 そしてそうゆう人に限って、社会では成功したりする。なんとも皮肉なものです。
 山形大学も騒動が起こると、周りの目を気にせず、欲望を丸出しにして動く大学の一つです。
 そして実際、社会では成功しています。山形大学は、東北地区で2番手の国立大学の地位を確固たるものにし、また地元山形(地域)においても、その存在感を高めています。研究予算、教育予算は、新制国立大学の割りにはずば抜けて高く、それは受験生にも知られています。
 「山形大学は、偏差値が低い割には、教育・研究環境が充実している大変お買い得感の高い、いわばコストパフォーマンスの良い大学だ」と。
 山形大学は東日本大震災以降、欲望をむき出しにして動いてきました。そしてコロナウイルス騒動が起きると、その欲望をさらにむき出しにしました。自分は山形大学を出ているし、自分も欲望には忠実な人間なので山大の味方をしたいところですが、ここまでくると、さすがに醜悪さを覚えます。
 では山形大学にはなんの欲望があるのか、それは2つあります。名誉に対する欲望(名誉欲)、そして金銭に対する欲望(金銭欲)の2つです。名誉欲は結城元学長の時代に存分に発揮され、金銭欲は結城元学長の時代はもとより、小山前学長の時代に存分に発揮され、そして今に至ってます。

金の亡者と化した山形大学

 山形大学は人一倍よりもさらに上を行く、金銭に対して貪欲な国立大学です。いわば金の亡者です。
 これはある意味、仕方のない面もあります。財務省は、文部科学省を通じて国立大学の予算を減らそうと躍起になっています。そのためには大学の統廃合もいといません。
 だから国立大学も生き残るために必死です。
 山形大学に限らず、国立大学は徐々に予算を減らされているので、その分を補おうと今、必死になって金を稼ごうといろいろとやってるわけです。
 山形大学はその中で、最も金を稼ぐことに成功した大学の一つです。それは結城元学長が、金を稼ぐノウハウを山形大学の教職員に教えたからです。
 山形大学の教職員はその教えを守り、金を稼ぐことに成功しました。それは一回きりだけではなく継続的に、そしてより多くのお金を稼ぎ続けることにも成功し、今の山形大学の躍進の原動力になっています。
 それはそれで非常に結構なことです。
 金を稼ぐ当の教職員たちも、金を稼ぐことがうまくいけば、さぞかし気持ちがいいことでしょう。

 だけど山形大学はそれがゆえに、金を稼いでうまくいったことがきっかけで、金稼ぎ中毒になってしまったのです。はたから見ると、そうとしか見えません。
 山大の教職員たちは、生き残るために金を稼いでいるのではなくて、みずからの欲望を満たすため、もしくは野望のために金を稼いでいるのです。
 たとえ自らに欲望・野望はなくとも、金稼ぎがうまくいけばそれはとても面白いです。だからもっと金を稼ぎたくなる。再び面白い気分を味わいたいから。そうやってるうちに、金を稼ぐことが目的になってしまう。いつしか本来の目的を忘れてしまう。金稼ぎ中毒になる、典型的なパターンです。
 そしてその金かせぎ中毒になっている山形大学を文部科学省は、注意するどころか、逆にほめたたえてもっと金を稼ぐようアドバイスする。
 財務省は、金かせぎ中毒になる弊害を十分に知ってるくせに、見て見ぬふりを決め込んでいる。まるで対岸の火事を見て面白がってるかのように。
 別に教育機関に限らずとも、金稼ぎ中毒は、いいことだとは思いません。
 山形大学はまず自分が今、金稼ぎ中毒になっていることを自覚し、それを踏まえてこれからの対応をするべきです。このままですと山形大学は、金の亡者のまま、滅びの道に一直線、ってことになりかねません。
 

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