クソクソランドの思い出 私が脱北した日編

遂にクソランからOちゃんもいなくなってしまった...。
クソランの私たちの部署にはY子さん、A美さん、いなちぃしか居なくなってしまった。

いなちぃとは以前、漫画の貸し借りをした際に私が借した漫画の帯を半分に折って紙袋の底に敷いた状態で返されて以来、完全に信用できない存在になっていた。
私が借した宮崎夏次系さんの漫画に対するいなちぃの感想は今でもよく覚えてる。

「ちょっと普段読まない感じの絵柄だったんですけど、読んでみたらなんか出かけたくなって、自転車に乗って出かけちゃいました。どこにでも行けそうな気分になりました。」と、いなちぃは天井を見つめながら伝えてくれた。
...サラッと読むと良さげな感想だが、なんかいなちぃの自己陶酔感を感じてしまった。

正直Oちゃんが辞めてからの事はあまり覚えていない。
いとうさんとOちゃんが辞めたことで、私がまた監修業務をやらされることになるのは予想できたので、クソがそれを伝えてきたタイミングで辞めようと思った。

案の定、数日後にクソは私を呼び出して、めちゃくちゃ照れながら「あのさぁ〜、悪いけどこれからはヤマダさんも監修業務をやってくれ!(照れ笑)」みたいな事を言ってきたので、「申し訳ありませんが、ちょっと金銭的に厳しくて転職を考えています。」と言った。
実際給料は相当安く生活が厳しかったし、それを言うことで給料の交渉ができるとしたらそれはそれで良いし、給料を増やすことができなければ辞める以外ないので、究極の辞め文句だと思う。
クソにはかなり止められたが、無事一ヶ月後に辞めることが決定した。
いとうさん、Oちゃん、私の3人の中で唯一私だけが穏便に辞める事ができたのだった。

辞めるまでの間は、チャンエツの時と同様あまりいかれることが無く割と平和に過ごせたような気がする。

結果、私はクソランで10ヶ月働いていた。これでもかなりの最長記録だと思う。
クソランを辞める最終日、いとうさんとOちゃんが帰りの途中の駅である中野駅まで来てくれて、3人でイタリア料理屋さんで「脱北会」を執り行った。
二人は私が無事にクソランから逃げられたことを本当に喜んでくれた。

クソランで働いたことは、私たちの心に大きな傷を残したが、一方であんな戦場のような場所で共に戦い、励まし合いながら頑張った同志と出会えたことはクソにつけられた傷なんかを大きく上回るので、私たちはクソランに入って良かったと言い合っている。

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