他人に評価される努力は無駄だと思う。

ワタシは努力という言葉が嫌いだ。努力しろと言う割に、努力しても、努力は他人が評価するものだ。と言う人が居るからだ。人はそれぞれだし、その度量もそれぞれだ。それなのに、他人の基準で計られて、他人が認めなきゃ意味のない努力なんて、馬鹿みたいに無駄だと思っている。

前職でワタシは着席した途端、物凄い勢いで仕事をした。アホ主任(三十四歳)が他部署にベラベラお喋りに行ったり、一日に何回もタバコを吸いに行っている間も、ひたすら仕事に打ち込んだ。部署の仕事を全部把握していたのは、ワタシだけだったので同僚のヘルプに入ったし、フォローにも入った。ついでに部長のマネジメント業務の補佐もしていた。それまでは全く不明だった(それも謎)単価の割り出しをし、部署内で共有できる仕組みも作った。前任者は自身の仕事だけで毎日三時間の残業をしていたのだが、ワタシはその日の仕事を全部終わらせて、ほぼ毎日定時退社していた。もちろん、終われない日は、残業したが。全力で取り組んでいた仕事が終わった後は、とにかくクタクタだったが、隣に座っていた上司はいつも「え?もう終わったの?仕事残してない?」と懐疑的だった。そんなことしたら翌日が地獄なので、絶対に残さない。上司(三十五歳)は残業しなきゃ仕事が終わらないと思い込んでる様な人で、毎月しなくてもいい残業を八十時間近くしていた。無駄にも程がある。

ワタシは自分の為に努力はした。定時で帰りたい、仕事を円滑に進めたい、効率的に仕事をしたいがための、努力だ。その努力は自分で評価している。

ところで、うちの部署にはNさん(三十一歳)という、びっくりするほど仕事が出来ない人がいた。着席するとしばらくぼんやりしていたし、業者のドライバーさんとべちゃくちゃ三十分以上電話でお喋りしたり、静かだと思っていたら、マウスのホイールをクルクル回しているだけだったり、キャパオーバーでも人に仕事を振れないので、無駄に仕事を抱えて右往左往したり、そんななので放置している案件がいくつもあったりと、問題だらけの人だった。机の上にはやたら書類があるのだが、日付は三年前のだったりする。エクセルで覚えたばかりの円グラフを仕事中に作りまくっていたが、システム課の人から、あれなんの役に立つの?とワタシが聞かれたくらいだ。同じ部署だったが、なんの意味があったかは謎だ。

Nさんは当然、昼間はサボっているから、残業しなきゃ終わらなかったし、がんばってます!とかがんばります!アピールだけは凄かったので、上司は努力している。と評価していた。

会社を辞めたのは、それも一因だ。自分が評価されないのは、仕方ないと思っていた。なぜなら、残業が評価される会社で残業をしなかったし、ワンマンで風通しの悪い会社で、やたら意見したからだ。おかしいんじゃないですか!とか。それがあるから、損してる。と言われていた。ただ、さすがにNさんの評価は不当だと思った。

Nさんの努力とは「上司にアピール」する事自体だったが、その努力が実り、後輩からも仕事が出来ないと評価されているにも関わらず今年、副主任になったらしい。後輩のMさんによると、Nさんは自分の努力(本人はやってるつもり)が実ったと、余計、アピールが酷くなったそうだ。相変わらず無駄話は多いし、Mさんは尻拭いをさせられている。本当に心底気の毒だ。

Nさんの努力を努力だと評価するなら、やっぱり他人に評価される努力なんて無駄だな。と思う。


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