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【2007年】経済視点で考える。ディオール・オムのぴっちぴちスキニーパンツがリバイバルする可能性。
今回ご紹介するのは「POPEYE」2007年2月号です。
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これまでの「山田耕史のファッションノート」でご紹介してきたファッション誌どれも1980年代や1990年代のもの。
2000年代のファッション誌をご紹介するのは初めてです。
そのきっかけとなったのが、こちらのツイート。
ディオールオムが表紙の2007年POPEYEのストリートスナップ、みーんな真っ黒&スキニーっぷりが凄い。 pic.twitter.com/YvuMQ4CC4x
— 山田耕史 文芸雑誌「群像」7月号にエッセイ「コムデギャルソンと川久保玲」掲載中 (@yamada0221) June 14, 2023
2000年代に大流行したスキニーパンツについて、これまで何度かツイッターで触れたことはあったのですが、今回は非常に多くのリアクションをいただきました。そのことについては、こちらの「山田耕史のファッションブログ」で記事にしました。
そして、この「山田耕史ファッションノート」では、「POPEYE」2007年2月号の誌面の内容と共に、「スキニーパンツはリバイバルするのかどうか」を経済的な視点から検証してみます。
コムデギャルソンオムプリュスの金色ローファー
ということで、まずは誌面から興味深いページをピックアップしてご紹介していきます。
リーバイスのエンジニアドジーンズの広告。
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スキニーシルエット、装飾性の高いポケットやステッチ、そしてポインテッドトゥのレザーシューズ。00sの雰囲気がてんこ盛りです。
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冒頭のニュースページ、「Pop Eye」。コムデギャルソンスペシャル。
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ローファーやベルトなど、これでもかと言うくらい、まっ金金に輝く小物は川久保玲が手掛けるコムデギャルソンオムプリュスのもの。このシーズンのプリュスについては、後ほど詳しくご紹介します。
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エディ・スリマン末期のディオール・オム
スタイリストの祐真朋樹さん特別編集「普通じゃない普通」。
「普通じゃない普通」とは、「個性的でありながら個性がワル目立ちせず、その次代の半歩先の空気をナチュラルに取り入れているように見えるスタイル」で、祐真朋樹さんはこれを「最もイケてるスタイル」だと考えており、右ページのジル・サンダー、左ページのボッテガ・ヴェネタはそれを象徴するアイテムであるようです。
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そして、その次のページから大きく取り上げられているのが、ディオール・オムです。手掛けていたのはエディ・スリマン。
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エディ・スリマンがディオール・オムのクリエイティブディレクターに就任したのは2000年。そして、2007年秋冬シーズンを最後に退任します。
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この号に掲載されているのは、2007年春夏コレクション。なので、エディ・スリマンによるディオール・オムの末期の作品です。
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2000年代以降のメンズファッションを語る上で最も重要な人物のひとりであるエディ・スリマン。エディ・スリマンについては、また機会を改めて記事にできればと思います。
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ぴっちぴちのスキニーパンツ世界中で無双
ここからがスナップ特集。「E-1グランプリ」のEとは、エレカジのこと。エレカジとは、エレガントカジュアルの略…のはずです。多分。でも、そのことを明記している箇所を、手持ちの近い号の「POPEYE」でも見つけられなかったので、多分、としておきます。
で、各都市のグランプリがこちらの方々。
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2007年は今から16年前。
なので、おそらく2023年の今からは一番遠いファッション感覚だったのがこの頃だったのではないかと思います。
そのわかりやすい例のひとつが、こういうハット。そう言えばこんな感じのハット、長らく見ていないですよね。
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そしてやっぱり特徴的なのが、スキニーパンツ。みーんな揃ってぴっちぴちのスキニーパンツです。
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日本は以前から何かが流行ると右にならえで、街中はそのアイテム一色になってしまいがちですが、面白いのはこの頃は全世界でぴっちぴちスキニーパンツが無双していたということ。まぁもちろん、当時の「POPEYE」のイメージにマッチする人ばかりをピックアップしているのでしょうけど、それにしてもこのスキニーパンツの多さは尋常じゃありません。
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冒頭でご紹介したツイートは、こちらの東京のストリートスナップ。
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ボトムスだけでなく、トップスもみんな超細身。
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アクセサリーやマフラーなど、小物が沢山使われているのもこの頃の特徴ですね。
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お次はロンドン。
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ロンドンでも巻物やアクセサリーがいっぱい。
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こんなでっかいスカルのバックルのベルトなんて、今街中で見かけることはまずないでしょう。
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大阪。
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どの都市でもテーラードジャケット、ライダースジャケット率はかなり高めです。
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ベースボールキャップなどのキャップ類はほとんどおらず、みなハット、ハット、ハット。
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パリ。
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比較的コンサバティブな印象があるパリですら、こんなに主張が強い服装がウケていたのです。
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スキニーデニムとレオパード柄のシューズが「絶妙ミックス」だった時代。
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名古屋。
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真ん中はテーラードジャケットにナローブラックタイにスキニーデニムという、ザ・ディオール・オム的コーディネートですが、着用アイテムに並んでいるのは大手セレクトショップの名前ばかり。つまり、デザイナーズブランドだけでなく、日本のセレクトショップのオリジナルアイテムも皆こんな雰囲気だった、ということがわかります。
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にしても、名古屋の皆さんはかなり主張が強め。
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日英服飾専門学生の個性強めなアイテム選び
続いて、「日英ファッション専門学校スナップ対決!」。日本は文化服装学院、イギリスはセントマーチン。
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服飾専門学生らしく、アイテム選びや着方の個性がかなり強め。
右の彼が着用しているのは。アンダーカバーのレディス。何よりもタイトシルエットが正義だった当時は、男性がレディスアイテムを着用することは珍しくありませんでした。そう言えば今思い出したんですが、この頃僕もユニクロのレディスのカーディガンなんかを着ていた気が…幸か不幸か、写真は残っていません。
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セントマーチンの生徒さんたちはモデルみたい。
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ワイドパンツも少しは見られますが、やはりほとんどがスキニーパンツ。
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そして、やっぱり多いテーラードジャケット。
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グリーンに大きなドット柄のパンツはコムデギャルソンオムプリュス2001年春夏コレクションのものですねー。
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ナポレオンジャケットはこの後に大ブームになります。
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そう言えば、マフラーやストールの巻き方にも特徴がありますね。ボリュームを持たせた巻き方が主流だったようです。
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モデルの私服もスキニーパンツ
お次はモデルの私服スナップ。モデルの私服って割とベーシックな印象がありますが、やはり当時は皆スキニーパンツ。
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刺繍やラメなどのギラギラしたディティールが目立ちます。
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ライダースジャケットが目立ちますね。
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スナップページは以上で終わりです。
スキニーパンツを中心に回る世界
続いて、「ハイカットを『イン!』で履こう!」という、スキニーパンツ大流行時代ならではの企画ページ。
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当時人気だったドメスティックブランド、ロエンとスポルディングのコラボスニーカー。
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ロエンはその後、タカキューのブランドであるセマンティックデザインや、しまむらとのコラボも展開するようになります。
Roenはタカキュー系列のセマンティックデザインでもライセンス(?)をやっていた記憶があります。徐々にマスに浸透していますね。 https://t.co/4LuLTMKqBh
— 山田耕史 文芸雑誌「群像」7月号にエッセイ「コムデギャルソンと川久保玲」掲載中 (@yamada0221) March 6, 2018
しまむらでRoenのライセンスブランド(?)売ってるんですね。https://t.co/hNLxJzIxU9 pic.twitter.com/IPFPZ6sGyj
— 山田耕史 文芸雑誌「群像」7月号にエッセイ「コムデギャルソンと川久保玲」掲載中 (@yamada0221) March 6, 2018
前ページのブーツやモノトーンカラーのレザースニーカーの「イン!」コーディネートは今見てもそれほど違和感はないのですが、このページのようなカラフルなスニーカーに「イン!」したコーディネートはちょっと無理があるような…でもこれ、2007年当時だと違和感はなかったんでしょうね。おそらく。
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続いては「春仕様」ブーツ。ですが、誌面をよく見ても何がどう
「春仕様」なのかは、よくわかりません。まぁとにかく、春にもブーツを履きたいくらい、ブーツが人気だったということなんでしょう。
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右ページ、コンバース広告はエナメルレザーのローカット。「ちょいフォーマルなブラックスタイルにもカジュアルなスキニーデニムにも相性抜群」と、当時のファッションはスキニーパンツを中心に回っていたことが伺えます。
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左ページはデザイナーズブランド、ディースクエアードの裾裏チェック柄デニムショーツ。アイテム自体だけでなく、ボトムスをレイヤードするなど、コーディネートにもかなりのアクの強さが感じられます。
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ファッショントレンドと経済の関係
モノクロページはスナップの「総括&データ編」。
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「500人のアンケート完全分析!」ということで、なかなかの規模感。
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最初は「今日、身につけているアイテムの総額平均」。東京が最も高額で、なんと21万9,351円。解説文には「景気回復が手伝ってか」とあります。
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冒頭で「スキニーパンツはリバイバルするのかどうか」を経済的な視点から検証すると書きましたが、僕はこの「景気回復」という要素が、2007年当時のファッショントレンドに強い影響を及ぼしているのではないかと思っています。
ファッショントレンドと経済(景気)は切っても切れない関係です。
例えば、以前の記事でご紹介したように、1980年代にDCブランドブームが起こったのには、安定した経済成長を続けていた当時の好景気が大きく影響を与えていました。
バブル崩壊と不良債権問題
ではここで、2000年代の経済の動きをざっくりと振り返ってみます。
↑の記事でも触れていますが、1988年に本格的に到来したバブル景気。
ですが、その翌年の1989年末に日本の株価はピークを迎え、1990年に入ると下落を始めます。そこから遅れて地価も下落を始めます。バブル崩壊です。
そして、バブル崩壊後の日本経済で最も大きな足枷となったのが、不良債権です。
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