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大河ドラマ『どうする家康』第24回「築山へ集え!」への批判

 たとえば、一家団欒のこのシーン。この時期の飯碗(茶碗)は漆椀で、陶磁器(江戸初期の美濃窯の灰釉の碗?)が使われるのは17世紀後半からだと風俗考証担当者が批判されました。(僕としては、このシーンの「鯉が・・・鯉が・・・」の笑える内容が解消されず、やきもきしています。いつか解消されるのでしょうか?)

 こういう小さな話から、「築山の謀(はかりごと)」のような大きな話まで、批判の対象になっています。
 「築山の謀」とは、「東国連合構想」でした。徳川、武田、北条、上杉、伊達・・・徳川を築山殿が、武田を穴山信君と望月千代が、北条を早川殿が、尾張は久松長家が(尾張の旧水野領には徳川家康の目付け役の佐久間信盛がいますが)、上杉や伊達は誰かが(?)説得するというのですが、あまりにも壮大な策すぎるし、女性ならではの策とも言えません。時代考証の3人の学者さんにお聞きしたいのは、「築山の謀(東国連合構想)が史実である可能性が1%でもあるか」ということです。「ある」と断言されるなら言葉を失いますが、「ない」のであれば、脚本を書き直させるべきではないでしょうか。

瀬名が平和を実現しようとしたという史料もなく、家康に加えて梅雪や氏真が同席していたというのも無理筋である。残念ながらありない話なので、「フィクションだから」ということにしておこう。

渡邊大門

 ではどうすればよかったのか?
 従来通り「築山殿と信康は武田と内通していた」という話をベースに、
①こういう理由で内通せざるを得なかった。
あるいは、
②内通していなかったが、こういう理由で内通したとされた。
という脚本にしていただきたかったです。

 次回は、五徳が「築山殿と信康は武田と内通している。他に内通している者はいない」と「12ヶ条の訴状」を織田信長に送り、酒井忠次も「その通り」と承認して、全ての罪を築山殿と信康に押し付けて、他の関係者を救うという展開になるのかな。

 戦国時代の女性の戦い方とは?

 「女戦国大名」と呼ばれた寿桂尼を築山殿は尊敬していたそうですが、寿桂尼はどのようなことをしたのでしょう? 寿桂尼が死ぬと、武田信玄は駿河国に攻め込みました。なぜ存命中に攻め込めなかったのでしょう? 築山殿がそう考えてくれると、女性ならではの策を思いついたかもしれませんね。

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