共鳴
昨晩は随分と久しぶりにお客さんが来てくれた。
リピーターさんだ。
うれしい…!
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、こんなときだ。
明らかにわたしや観光業界の状況を知って、援助のきもちで来てくださっていた。
なんてお優しいのだろう。
なさけない気持ち半分、うれしい気持ち半分。でも今は仕方がないのだ。
逆立ちしてもバク転しても、わたしたち観光業界はどこからどう見ても瀕死だ。
お気持ち、有難く受け取らせていただきました。
この御恩は忘れません。
いつか必ずお返しいたします。
今日はそのお客さんと朝から峠を越えて滝へゆきました。
一緒に法螺貝(ほらがい)を練習するために。
滝の水で法螺を洗うと、法螺が喜ぶという。
明らかに普段よりも良い音が鳴るし、上達する。
今日の法螺も素晴らしい音だった。
(一音しか音が出せなかった彼女はなんと滝の前で二音目が出るようになった)
法螺はきっと、滝と共鳴している。
おそらくわたしたちも互いに共鳴している。
清浄な音と身体が共鳴すると、歪んでしまった何かが正常値に少しだけ整うのだと思う。
だから癒されるし、気持ちよい。
わたしたちが法螺を立てるのは、人間の歪んだ部分を自然にチューニングしているのかもしれない。
音は目に見えないけれど、そういう見えないものほど『見えないもの』への影響力をもっているのではなかろうか。
そんなことをこの文章を書きながらふと思ったので、ここに残しておくことにする。
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