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投げ出せない匙

20年前のきょう、15歳になった翌朝の僕が目を覚まして居間に入ると、両親がテレビの画面に釘付けになっていました。なんだ、どうした?と目を遣ると、高層ビル、そこに突っ込む航空機、そして噴煙。朝から何のドラマ?現実に起きた出来事とは、微塵も思いませんでした。

その20年後に、こんな「敗退」が用意されていようとは。再び新聞に踊る「アフガン」の文字。それを眺めながら、僕は唖然とします。あの日から20年間、世界の歯車はギシギシと軋みながら、着実にこの日に向かって回り続けていたのだなぁ、と。いま僕らは、米国という国家の「敗戦」ではなく、デモクラシーというシステムとイデオロギーの「敗退」と「危篤」を告げられています。

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僕の小学校の音楽教諭は、定期的に席替えを行う先生でした。その席替えは自由形式。僕らが各自で座りたい席を選びます。ほかの教室では大抵くじ引きで席替えが行われていたので、僕らにとって音楽室の席替えは、ちょっと特別なものでした。今回も席替えは自由です、と云ってから、先生は決まって僕らに尋ねます。みなさん、自由は何とセットでしたか。僕らは一斉に応じます。「せきにーん!」

先生はきっと、仲良しグループで近くの席に固まって、授業に集中できなくなって、成績を落としたとしても、それは「自己責任」ですからね、と僕らを脅したかったわけではありません。窓際とか最前列とか後方とか、自分の好みで席は選んでよいけれど、この部屋でみんなで一緒に音楽を学ぶということに対して、一人ひとりが責任を持って考えて行動してくださいね、と諭したかったのでしょう。それは、学級という社会に対する責任。「社会的責任」です。

僕らは、ときに話し合いも交えながら、相応の時間をかけて席替えを進めました。結果的に、どこかの仲良しグループが教室の一角に陣取ることはなく、音楽室の治安は不思議と保たれていた、と記憶しています。

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この夏、あの祭典の開閉会式に合わせ、国は祝日を移動させてまで連休を設けました。最初の連休に先立って、僕は不本意ながら、次のようにアナウンスしました。「ご自身が普段お住まいの地域で新型コロナウイルスの感染拡大が確認されている場合は〈栞日〉への来訪を見送っていただき、状況が好転して以降、改めてお出かけいただけましたら幸いです」。ただ、オンラインでのこうした表明が届くみなさんには、既に僕の考えをご理解いただけている場合が多いと想像できたので、さらに不本意ながら今回は初めて、同様の内容の貼り紙を店の入口に掲出しました。こうした行為が、僕の最も望まない、不要な分断を助長してしまうことを自覚しているからこそ、最後まで躊躇いながら。

そして迎えた連休。くだんの貼り紙は目にも留めてもらえず、店内は満席。オーダー待ちの列。僕には眼前の光景が理解できず、ただ戸惑うだけでした。夕方、所用があって街に出たとき、一見して観光と判る人たちで賑わう城下を自転車で走り抜けながら、察しました。

「しまった、やられた。『おしまい』だ」

途端に合点がいきました。五輪開催という最大の免罪符を発行しながら、一方でワクチンの接種率を連呼してその絶対神話を布教してきたのは、そして緊急事態宣言を漫然と引き延ばし続けてきたのは、なるほど、このためだったのか、と。デルタ株が急速に広がる当時の状況を、客観的に観察して、論理的かつ倫理的に判断すれば、次の展開が望めたはずです。これ以上の感染拡大はウイルスにさらなる強靭な変異株を生み出す機会を与え、開発されたワクチンさえ無効化される可能性もある。ここは個人の自由を「これも自己責任だから」と押し通すより、社会の安全を優先する社会的責任を発揮しよう。

ところが、そうはならなかった。

なぜなら政府が、主体的かつ積極的に(そして、もちろん暗に)「そうしなくてよい」と号令をかけ続けていたから。五輪を強行するから、その免罪符を振りかざしながら移動して、各地で経済を回すように。ワクチン接種さえすれば「絶対に安全な日常」だから、経済活動を優先するように。そして「緊急事態」を意図的に恒常化させることで、相対的に、漸次的に、世間の緊迫感を低下させ、人々の客観性や論理性、倫理観を麻痺させていきました。こうしてできあがったのが、国が発する(表向きの)注意喚起が(国の思惑どおり)機能不全に陥り、コロナ禍は「おしまい」とマインドセットされた国民が経済活動に勤しみ始めた、今日のニッポンの風景です。

この国の中央では、なぜ誰も、いまの資本主義経済の在り方それ自体を、問い直すことをしないのでしょう。答えは明快。そんなことをしたら、儲からなくなって困ってしまう、儲けることが至上命題の人たちがこの国には大勢いるから。そして、その人たちを困らせると困るのは、その人たちの票で支えられている現政権の、既得権益を保持したい、政治家たちに他ならないから。首相の退陣劇や総裁選の茶番に付き合う義理はありません。それらの騒動に世間が目を奪われている隙に、今度はしれっと緊急事態宣言下の経済活動を推奨し始めました。政府のみなさん、「緊急」の定義を僕が解するように解説してください。

世界人類史に記録される此度のパンデミックは、きっとまだ当面は続き、次なる変異種も十中八九は出現し、さらに長期化するでしょう。「出口戦略」なるものを政治家が編み出せるフェーズからはほど遠く、科学と医療の専門家に最大限の敬意を払い、その見解に真摯に耳を傾け、彼らの取組みを全力でバックアップすることが、いま政治にできる数少ないことのひとつでしょうし、たどり着きたい「出口」に近づく、それが唯一の術のように思います。この国の政治は、まるでその真逆に突っ走ってるけれど、利権を守ることに必死な集団がその先頭を率いているから、もはや救いようがありません。

僕は、この状況がまだ当面は続くのであれば、回さなければ消失してしまう小さな経済や生業が世の中にあふれていることを無視しているわけではありません。むしろ、そうした小さくとも確かで尊い経済のひとつひとつが生きながらえる術を、生き延びていける新しい経済の在り方を、いま考え抜かず、いま試みることなく、いつ考え、いつ試みるのだ、と云いたいのです。国の規模で、この対話を進めることがいかに困難か、この一年半で嫌というほど思い知りました。だからこそ、自分が地に足をつけているこの地域で、考えたい。試みたい。「親密で持続可能な地域経済」の在り方を。

そして、忘れず直視しなくてはならない事実が、もうひとつ。先程「真逆に走っている」と批判したトップランナーを、選んでいるのは、生み出しているのは、でも、僕ら自身だ、という否定しようのない現実です。

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店にポスターを掲示することは稀な僕が、このところ好んで店頭に貼り続けているポスターがあります。赤地に白抜きの手描き文字で「CHOOSE YOUR DISTANCE」。たったこれだけ。潔く、かつポップで愛らしいこのポスターは、同じ街でパーティーハウス〈瓦レコード〉を営む古川陽介さんが、その17周年記念に制作したもので、先日〈栞日〉に本を求めにいらした際に、持参してくださいました。

そのメッセージがストライクゾーンど真ん中だった僕は、後日、初めて〈瓦レコード〉を訪れ、カウンター越しにその意図を訊きました。うちのガイドラインです、と古川さん。行政から営業のガイドライン作成を求められたとき、このひとことに尽きる、と定めたそう。(この状況下で)うちに遊びに来るからには、自分の身は「自己責任」で守ってほしい、と続けました。うんうん、と僕は頷きながら、このときの古川さんから発せられた「自己責任」という言葉に、公共が本来は担うべき責任を放棄して個人に転嫁する「自己責任論」のような冷徹さも、社会に与える影響に目を背けて個人の自由を優先するときに用いる便利な盾として「自己責任」の無責任さも感じず、不思議な感覚に包まれていました。

〈瓦レコード〉からの帰り道、僕はあのカウンターでの時間と会話を咀嚼しながら、そうか、とつぶやきました。あれは、自分が関わる営みは自らの意志で決めてほしいし、決めたからには責任を持ってその営みを支えてほしい、という願いなのではないか。それは相手を思いやる温かな「自己責任」から紡がれる、もうひとつの「社会的責任」の果たし方とも云えそうです。そこに思い至ったとき、僕はもうひとつ、そうか、と重ねました。だから僕はあのメッセージに一発で撃ち抜かれたのだ。その願いは、僕が志す「親密で持続可能な地域経済」を営む姿勢と、まさに一致するからです。僕らは誰もが、選択の自由と権利を擁しています。自分の価値観に照らし合わせて、自分の頭で考え、自分の意志で行動を決めることができます。だからこそ、互いに尊重し合い、支え合うことができる。そうして成り立つ、小さくとも逞しい経済を、幾つもいくつも併存させること。やはり、その世界を目指したいな、と拳を握り直しました。

きょうも〈栞日〉の入口には「CHOOSE YOUR DISTANCE」と記されています。僕はそのメッセージの脇を通って店内に進んでくださったみなさんに向けて、心の中で「THANK YOU FOR CHOOSING US」と唱えることに決めました。

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2013年の夏に、当時26歳で独身だった僕が、文字どおり独りで開いた〈栞日〉は、先月おかげさまで8周年を迎え、9年目に入りました。株式会社としても、おとといの重陽の節句で、設立から1年を数えることができました。関わりを持ってくださったすべてのみなさんに、ただただ感謝しかありません。ありがとうございます。その間に結婚もして、父親になり、僕自身はきのうで35歳になりました。「40」の節目も視野に入り、世界中で民主主義が瀕死の状況に追い込まれつつあるこの時代に、この街と地域にどうやって恩を返し、息子と娘にどんな未来の景色を繋いでいけるのか、いよいよ本気で考え始めています。

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開業以来〈栞日〉で淹れる珈琲の豆を焼き続けてくださっている、京都〈オオヤコーヒ焙煎所〉のオオヤミノルさんから、この夏も暑中見舞いが届きました。

「諸々の状況、垣間見て『なんも言えねぇ」ですね!次の選挙で決着つけましょう。投票日まで皆様ご自愛ください」

僕は静かに頷き、それから深く息を吸って、吐き出しました。

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