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未来のために、いま。

いざ、市政。

こんにちは。ひさしぶりの投稿で、ひとつ報告です。

先日、政治団体「きくちとおると未来をたがやす会」の設立届を提出して、政治活動をスタートしました。

政治家という職業は、自ら志すものではなく、代弁すべき誰かが居て、その当人あるいは周囲に推され、必要に迫られ、初めて志すものだ、という持論ゆえ、これまでも選択肢として頭の片隅には置きながら、その道を選ぶことはありませんでした。

では、なぜ、いま、その道を歩み始めるのか。答えはシンプル。代弁すべき誰かが定まり、その周囲に推され、必要に迫られたからです。

未来のために、いま。

僕が代弁していく誰かは、未来の市民であり、この地域をよりよい姿で次代に手渡したいと願う現在の市民です。この地域で生まれ育ち、将来この地域を支えていくであろう、いまの子どもたちと、この地域にこれから生まれてくる子どもたちが、歓迎する未来を、誇れる地域を、耕したい。そして、いまこの地域に暮らし、同じように願う市民の声を、然るべき場で代弁したい。

そう考えるようになった経緯は、やはり我が子(8歳の息子と6歳の娘)の存在に拠るところが大きいですが、そのための動き出しが「いつか」ではなく「いま」なのだ、という切迫感は、この列島がコロナ禍に覆われて以降、みるみる募っていきました。自身の足元を見つめ直し、この国と世界の将来を憂う識者たちの言葉に触れ、周囲から聴こえてくる声に耳を傾けていくなかで。

世界は、著しい変化の時代を迎えています。気候危機は深刻で、人口減は不可避です。国際平和の秩序は乱れ、資本主義の限界が露呈し、民主主義は風前の灯。待ったなしの難題が幾つも重なり、絡み合い、現代社会は大きな岐路に立たされています。この現実に正面から向き合い、その解決に挑むとき、これまでの価値判断軸とそれに基づく思考回路では、到底太刀打ちできません。

変えるべき価値観を変え、それに基づく制度設計を改め、進めるべき施策を速やかに進めることが、いま、求められています。「いつか」ではなく「いま」動かないと、手遅れになる。未来の子どもたちが歓迎する世界を拓くために、動くときは「いま」です。

まず、地域から。

世界規模の危機を語った途端、ぐんとスケールを落とすので、なに呑気なことを、と呆れられると思いますが、よりよい世界の共創に挑むとき、それはまず、各々が暮らす地域をよりよく耕すことから始まる、と僕は考えます。

現代の情報技術の発達には眼を見張るものがありますが、どこまでいっても生身の人間としては、この身体ひとつです。その身体性が伴う範囲のなかで、一人ひとりの日々の暮らしと生業が営まれ、資源と経済が巡る社会が、やはり自然なありようではないでしょうか。そして、この生態系を自立させ存続させるための、個人の、組織の、社会の、創意工夫が機能する(その手応えを感じる)生活圏を「地域」の単位と捉えています。

それぞれの地域には、固有の地理があり、風土があり、歴史があります。その文脈と個性を丹念に読み解き、その地域に相応しい、かつ、この時代に相応しい、生態系のあり方を探究し、その仕組みを更新するための実践を重ねていく。こうした創意工夫に取り組む地域が、この列島に、惑星に、多様に点在することが大切だと考えます。対話の相手が生まれるから。各地での実践を経て得た気づきと学びを共有して、より広範の「社会」としての知を蓄え、次の課題に臨むことが叶うから(その地に限って通用する解もあれば、相応の汎用性を有する解も、きっとある)。

自立・分散・協調した、地域と地域の対話から、次代の世界を拓いていく。未来が歓迎する社会を耕す。これが、僕が選び、挑む道です。

山とひとを、結ぶ。

長くなりました。個別具体の政策などは、次からの投稿に譲ります。最後にその導入として、松本という地域で実践し得る創意工夫とは、という話を。

特筆すべきは、山の存在。西に聳えるアルプスの壮観に眼を奪われがちですが、僕が注目したいのは、その麓。そして、その逆サイド。家族で暮らす中山地区を含めた、東山一円の潜在力です。里山が健やかであることは、多様な暮らしと生業のニーズに応える、地域の寛容さを育みます。農業と林業が持続すること、森林と水脈を地域資源として活かすことは、食とエネルギーの地域内循環を促します。

山の恵みとひとの営みが、この距離と規模でバランスする地域だからこそ、松本は、22世紀の山岳都市のモデルを世界に示す役割を果たすことができる、と信じています(そして、そのヒントはきっと、近世以前の当地にある)。

課題は複雑で難解です。でも、だからこそ、耕し甲斐のあるフィールドです。未来のために、いま。はじめます。

photo|Tamiko UCHIDA


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