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「夢」をすぐに叶える方

小さいころ、宿題もしないで遊んでいたら
親から
「やらなきゃいけないことをしてから、
やりたいことをやりなさい」
と言われた。

なんでやっ!
やりたい事と、やらなきゃいけない事、
結果的に両方やるならどっちが先でもいいではないか!
どっちも結果的に交互にやるのなら、
いつかどっちが先なのかわからなくなるのに・・・と、

不服でならなかったけど、
大人ってそういうものなのかもしれないと思った私は、
試しにやってみたら、鬱になった。

私の持論だけど人間ていうのは
楽しかったり幸せを感じたくて生きていると思う。
だから「やりたいこと」をしないと
「やらなきゃいけないこと」をするエネルギーが湧いてこない。

セッションをさせていただく中でも
「やりたいことがわからない」という大人が多いのは
「どうせ夢を描いても叶わない」という泥を重ねてしまい
「夢を持つこと」自体を、地下深くに埋葬している。

それは、親からの反対だったり
能力の相対性だったり
自己肯定感の低さだったりするんだけど
それを覆す方法のひとつも
やっぱり「夢をすぐ叶える」ことだ

え、けど、さ、夢なんてすぐ叶わないやん?
そうおもうでしょー?
夢に大小なんてないと思うけど、
距離の差みたいなものは確かにある

小さいころから
大人になってからの「夢」を求め続けられたぼくら。
果てしない将来のイメージも、未来の事情も
さっぱりわからないから、
「夢」って言葉の持つイメージが
もはやどんなものでも「壮大」になってしまう。
果てしなく遠い感覚がしてしまう。

「テレビで見た、ツヤッツヤのお魚がてんこ盛りの丼を食べたい!」
というのも、「夢」になる。

これは、お金ちょっとと、週末の余暇があるなら
すぐにでも叶えられる距離の近い「夢」

お肉屋さんで売ってる、
いちばんいい肉を食べたい!も
5000円もあれば食べれる。
超近い「夢」

世界に誇る、超美味しいレストランを経営したい!
は、これらに比べれば距離のある「夢」
時間と、努力が必要だけど、
「したい!」気持ちは、何よりも原動力になるから
努力なんてしなくても、しちゃうのだ。

距離の感覚が分かったら、
近そうな「夢」から「今すぐ」叶えていくといい
という事を伝えられたらいいな。
「わたしが私に生まれてよかった」という命の充足感を得られる。
「夢に大小はないんだなぁ」と、
世界が少し、優しく感じられるようになる。

そしたら、勝手に遠そうな夢も叶っていくから
不思議
なものです。

そんなわけで、私もこの週末は
自分の「夢」を叶える一人旅を満喫中!

富山にある
「スパアルプスで、サウナと水風呂、そしてご飯を堪能したい!」

この「夢」は、あーだこーだ言い始めたら
なかなか中くらいに遠い夢

<難易度:中>
・シングルマザーの2泊3日というソロタイムの確保
・片道5時間半の移動距離
・富山という知らない土地に対する緊張感
・旅費や交通費というお金の事
・・・などなど

これは「そんなことまでして、サウナに行くまである!?」って
脳内のうるさうやつが言いがちな事。

けど、
・たまたま今週末娘たちはお泊りしてくれてこれはラッキー!
・往復11時間?短いとは言えないけど、1日は24時間ある。
 アルプスに3時間居ても、余裕だし、一泊するなら、なお余裕。
・富山知らないから、知れる。あ、友達にも会お!
お金は夢を叶えるために稼いでるんじゃなかったっけ?

と、変換すれば、
行くしかない。行かない理由のほうが見当たらない。

「遠い」とか「しんどい」とかであきらめる程度なら
そもそも夢じゃない。
他人の夢を自分の夢だと勘違いしている説もある

やりたいことを、あきらめた時、
必ず、心に靄が生まれる。
それに向き合うこともしんどいから、
やりたいことを想像し、創造しなくなる。

だから、もし、何かやってみたいことがささやかでもあるなら
今すぐに、今日とか明日にできること
いろいろ条件を並べて
ムリとか無駄とか勿体ないとか言わないで
ホイッとやっちゃえー!

すごく、清々しいから。
そして自分のことを、ちょっと頼もしく感じられるから。

体験すること以上に、
生きている体感を得られることはない。

夢を叶えていく体験をしまくって、
死んだように生きるんじゃんくて
生きることを目いっぱい楽しみたいと思う。

人生の目的は「生きる」ことじゃなくて「楽しむ」ことだ


夢にまで見たこの景色・・・うれしいっ♡幸せだーって何度つぶやいたか・・・

以上!


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