『一人抱え込まないで』のエゴ #魔女ログ003
『誰にでも優しい良い人』でいるのが自分の目標だった頃、私は仲良くなった人たちみんなにいつも言っていた。
「一人で抱え込まないで。何でも聞くから。話すとスッキリするし。」
全くもって軽率で、愚かだった。
自分のそれまでの経験で、人の痛みは大概理解できる人間だと思っていたし、相手が求める言葉やリアクションも把握しているつもりだったのだ。
それは自分自身がつらい人生を送ってきたという自負があったのだと思う。そしてまた、私以上に不幸な人などいないという傲慢な考えがあったに違いない。
そんな私を打ちのめしてくれたのは魔女だった。
彼女の闇は、私には背負いきれなかった。
自分がどれほど浅い人生を送り、想像力も包容力も小さく、未熟で愚かな人間か思い知らされた。
魔女は優しく、ただただ優しく笑ってくれた。魔女は当時、まだ普通の学生に見えたけれど、とても賢くて、とても強くて、けれどどこかとても脆そうな、何も知らない少女のような、不思議な人だった。
あれからもう十年以上経った。
平日の午前9:00、行き交う人を横目に、小洒落たコーヒースタンドで美味しくない珈琲を飲みながら記事を書く。
京都でひとり迎える朝は、胸が一杯で死にたくなる。子どもたちのぬくもりがまだ一夜明けてもなお、この腕の中に残っているからだ。月に一度会える日を楽しみにして、また次が楽しみになるまでには時間がいる。もういっそ、会わなければ、こんな辛い思いはしなくて済むのだろうに。
この気持ちを誰かに話して、果たして私はスッキリするだろうか。かけて欲しい言葉も、見せて欲しいリアクションも、今の私に有りはしない。この痛みは、私が母親であるという唯一の勲章なのだ。誰にも受け取れるものではない。
今もよく出会う。なんでも相談してと心配してくれる人。悩み事はみんなで共有しようと大声で言う人。自分を犠牲にしてでも周りを幸せにしたいと宣言する人。
偽善者とまでは言わない。もちろん話してみて解決できることもある。閉ざされた世界に差し伸べる手を振り払うようなことがしたいわけじゃないのだ。けれど、それが全てだと思っていることほど、怖いものはない。
好奇心で聞きたいだけではない?自己満足で話させたいわけではない?本当に?傲慢で、想像力に欠けた愚かな行為でないと言い切れる?
昨夜の、一人歩く帰り道、電話の向こうで魔女が聞いた。
いまどこ?なにしてる?
私は答える。
京都だよ。
それを聞いて、魔女は言う。
そっかそっか。あたたかくして帰ってね。
正しい答えは一つじゃない。
でも今の私には、一番あたたかい言葉だ。
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