【現代アートギャラリー】1000日後に消滅するKONMASAビルに行ってきました
これは去年の12月26日のレポです。*ネタばれを含む可能性があります。
芸術鑑賞なんて、現代アートならなおさら、久しくしていなかった。だから、二階から三階に上がったときに、あまりの衝撃に動けなくなっていた。先を歩いていたしみずが私に気が付いて「後ずさっとるやん」というほど。怖くて進めなかった、というのが本音である。作品のパワーに圧倒されるなんてどれぐらいぶりだろう。京都の大学で芸術を学んでいたころは、中毒のようになっていたほどなのに、今の身体では耐えがたいのかもしれない。私は少しショックだった。
けれど帰りたいとは思わなかった。進むしかないと思った。それがなぜかはわからないけれど、私のポリシーなのかもしれないし、作品がそうさせていたのかもしれない。とにかく、私は一歩ずつ中へ入った。
真っ暗な室内に、こぼれて光る作品たち。空間に満ちた音楽が体の中にしみこんでくる感覚。その”中”は、怖くなかった。深海を漂うような、そんな気分だった。最上階に上がったときも同じだった。”中”に入るまでは少し勇気が必要だったけれど、中に入れば、いっそ心地がよかった。その”中”は、とても澄んでいて、どこまでも深く、果てしない宇宙のようだった。
人の内側と向き合う作品に触れる機会は少なくない。これまで出会ってきたそういう作品はいつも、痛いし、怖いし、醜し、汚いし、攻撃的なのがほとんどだった。けれど、今回は違った。闇属性には間違いがないのだけれど、子供が見たら泣いちゃうと思うけど、なんというか透明度が高くて、とても清らかだった。こんな作品に出会ったことはない。
コンマサビルを出るとき、コンマサさんとお話しできた。こんなことを言っては営業妨害かもしれないけれど、その柔らかな笑顔や物腰に、クレイジーさは一ミリも感じなかった。きっと彼が闇を抱えているとしたら、俗世間の人間のそれをとっくに超越している。到底、私たちには計り知れないのだろう。
ただ、今思えば、彼が見せてくれたのは、闇ではなかった。
『瞑想する部屋』で、私たちは彼の月を見た。
彼が、彼の”中”で見つけた月。
闇の中で彼が出会ったのは光だった。
彼が私たちに見せてくれたのは、闇ではなく、紛れもなく光だ。
確かな光だった。
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