「未来への責任」に関する認識は、アーカイブズにおいても基本的な概念です。

 10月21日の朝日新聞デジタルに、「「未来への責任」なぜ現代の我々が? 「ふわっと」じゃないその理由」という記事が出ています。

 「未来への責任」という言葉に、ピンと来たのですが、アーカイブズにおいて「未来への説明責任」という言葉があり、文書を残す理由の最も基本的な概念になっています。
 例えば「公文書等の管理に関する法律」通称「公文書管理法」の第1章第1条「目的」において、「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものである」ため、「国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」となっていて、「将来の国民に説明する責任」を全うできるように文書を残すということになっています。これは、歴史学が、基本的には過去の文書を評価・検証する過程を通して歴史の事実、及びそれらの関連を追究する学問であることから、将来、過去を知ろうとする人たちに必要な資料となる文書等を残すことが、過去の国等の活動を説明することにつながる、つまり現代の我々が文書を残すという活動が、「将来の歴史認識に大きな影響を与える」といった考えからきているものです。
 文書保存の問題は、過去の文書保存を見ると、当事者の権利を主張するための材料であり、その必要性から保存されてきたようなものが多いわけですが、そこに未来の子孫たちへの思いやりがなかったかと言えば、100%は否定できないでしょう。その意味で、ハンス・ヨナスの論考が近年注目されているのが、なんとなく理解できるような気がするわけです。

 「現代の我々の活動が未来に影響する」との考え方は、かなり浸透してきているように思いますが、それでも「何故我々がそんなことを気にしなくてはいけないのか」という考えも強く存在していることも事実ですが、「人新世」という概念が出てきていることを思えば、それだけ我々の活動は地球を大きく変えてしまう力を持ってしまったわけです。それを意識しなければ、未来はどうなってしまうのか、最悪「未来は何もない」ということもあり得るわけです。
 「今自分たちだけが良ければそれで良いのか」と考えると、さすがに「それで良い」と言い切れるだけの勇気はないわけで、現実はどうなるのかわかりませんが、できればハンス・ヨナスが主張するように、未来世代は「「本当に人間らしい生き方」で、「永続」する存在」であって欲しいと願うわけです。今、ハンス・ヨナスの論考が注目されているのは、それが理由なのではないかと思った次第です。ちょうど良い機会なので、ハンス・ヨナスの本を読んでみようと思います。

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