ゴミの処理をきちんとできないのに、ゴミを出し続けるつもりなんでしょうか?

 10月2日の朝日新聞社説は、「核のごみ調査 判断に謙虚に耳傾けて」というタイトルです。「原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場をめぐり」、対馬市長が「文献調査」を「受け入れない方針を表明した」ことを受けてのものです。

 対馬市では「調査に伴う最大20億円の交付金への期待の一方、漁協などが反対の請願を出し、島を二分する事態になって」いたとのことで、北海道寿都町でも、「2年前の町長選で調査への賛否をめぐり町が二分された」ということです。
 対馬市長は「いったん文献調査に入ったら断るのが難しい」とも話しており、「自治体側には、「交付金をもらってしまえば、止まらなくなるのではないか」という不信感が根強くある」と見ることができると考えられています。
 これは、「原発の運転を続ける限り、廃棄物は増え、地元には際限なくごみが持ち込まれるのではないかとの懸念が拭えない」ことに原因があると考えられるわけで、「計画が、実現する見通しのない核燃料サイクルに依拠している」ことも問題なわけです。
 
 10月2日の中日新聞デジタル静岡版では、「浜岡原発の燃料プール、既に満杯近く 貯蔵施設を計画も根本的な解決にはならず」という記事が出ており、用済み燃料は全て再処理されることを前提とされている浜岡原発の記事が出ており、同日付けで浜岡原発が燃料棒を運んでいる青森県六ケ所村に関する「再処理工場に滞る使用済み核燃料 稼働時期は不透明 青森・六ケ所村 記者ルポ」という記事も出ていますが(どちらも会員限定記事なので、最初の一部しか読めませんが、内容はだいたいタイトルから検討がつきます)、すでに大量の使用済み燃料が存在する以上、処分場は必要なのですが、「原発のツケをめぐる負担の公平性」をどうするのかという、別の問題があるわけです。
 
 原子力の利用を推進するかしないかの問題は、核のゴミの処理までを考慮に入れて検討する必要があったにもかかわらず、そこはとりあえず後回しにしてきたために、今ここに来て大きな問題として改めて確認されたわけです。それにも関わらず原発推進へとかじを切った岸田政権はあてにすることはできないわけで、国民全体でこの問題を議論する必要があると考えます。

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