見出し画像

好きな作家の話。

もう1ヶ月以上経ってしまいましたが。
5/4は好きな作家さんの命日でした。
寺山修司って言うんですけど。

好きというか、この人は私の人生を変えてくれた張本人だったかもしれません。
助けられた、という言い方も出来るかもしれない。
毎年毎年、5月はなにか掻き立てられるものがありまして、必死に動いていたらもう6月になってしまっていました。
掻き立てられるのもこの人のおかげかもしれない。

少し自分の昔の話をします。
父親は教師、母は専業主婦の家に産まれました。なにごともなければ裕福?だったんじゃないかなぁ。なにごともなければ、きっと普通の家庭だった気もします。
細かく話すとかなりグロテスク(複雑だし見ようによっちゃ、ね)だなって思うので諸々は割愛しまして、2、3才の時にじいちゃんばあちゃん家に引き取られました。父親も母親も私も全員違う場所で暮らしました。
10〜11才の時に家族がまた一緒に暮らすようになって、でもそれからもあんまりいい思い出は無いです。わざわざ暗い話にする気もないので割愛しますが。
それから少したって弟が生まれて、それでもいい思い出はあまりなくて、そんな時に出会ったのが寺山修司でした。

父親が国語の教員だったこともあって、家の一部が書斎みたくなってて、そこでたくさんの本に出会いました。
その中でも「書を捨てよ町へ出よう」というタイトルを気に入って、それからはずっと寺山修司を読み漁る日々でした。
家を捨ててもいい、故郷を捨ててもいいと言ってくれた大人ははじめてでした。
「家を捨て、家族を捨てなくてはダメになる」と自分でもどこか薄々思っていたんだと思う。今思えば。
なので文字通り、実家の書斎は私の宝でしたが、それさえも捨てて家を飛び出しました。

「自分を壊してまで、守らなければならないものなどない」と教えてくれたのも彼でした。
「どんな生き方でもいい、楽しければ」と思えたのも彼のおかげでした。
彼は私に自立の仕方を教えてくれた、自立する勇気を与えてくれました。

5/4にこれを出せなかったことだけが悔やまれるけど、自分の言葉が正しいか分からないけど、それでもいつかどこかのタイミングで彼に感謝をしたかった。
今の私が私たらしめるのも、彼のおかげかもなと思うから、これを読んでいる人に知っておいても欲しかったかもしれない。
6月になって雨が降って、余計に昔のことを思い出すことが増えてこんなことを書きたくなったのかもしれない。

AV女優という仕事に就いて、どういう訳か舞台や絵本の仕事もして、本当にどういう巡り合わせか分からないけど、私は寺山修司という作家に出会ったことで自分が進みたい道に自分で行けるようになった気がする。
家を出ていなければ、捨てていなければ出会えなかった人達がたくさんいて、出来なかった体験も沢山あったから、毎年彼の命日は思うものがあるのです。

最近は、嫌なことが多かったから家族を捨てたという訳ではなくて、好きだから私が嫌だと思っていたことを理解して欲しかった、ただただわかって欲しかったと思うことが増えてきました。
多少歳をとってしまったので、私も理解をしないといけないことがあるのは100も承知ですが。
寺山修司の文章からは、寂しい色が見えるので、だから好きでした。子供の涙のようなものです。子供のまま泣きたい、「おかあさん」って言いながら大声で泣きたい。

またまたまとまりのない話になってしまったけど、好きな作家の命日だったから、なにか残しておきたくなったのです。こういうのには乗りたくない人間ですが、彼の言葉に生かされてきたから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?