2)ドイツ暮らしとマクロビとサヨナラお父さん
160センチ、30キロ台のまま、いざ、ゲルマン民族の中へ!
新しい住所は、Sonnborn str.9 (ゾンボーンシュトラーセ ノイン)。
築100年のAltbau(アルトバオ)が新しい家。
目の前にはトラム(路面電車)。しかし、乗り方はわからない。
分かっているのは、ein, twein,drei,Danke の4つの単語。(1、2、3、ありがとう)
ゲルマン民族とトルコ移民、ライン川とビールに歓迎された(と思いこんだ)私は、もう、何もかもどうでもよくなって、精神的にも解放されます。
すると、2ヶ月のうちに体重はV 字回復。あっという間に7キロ増。
しかし。
戻らないのは月のもの。
結局また婦人科へ通うことに。ゲルマン人の薬は大和撫子にはパンチがありすぎました。ホルモン剤などをドイツ人の半量飲むのですが、吐く、貧血で気を失う、など3年の滞在の間にすっかり薬恐怖症に。
「日本に帰ったら食事で根本からカラダを変えよう」
と密かに心に誓った32歳。
何より、ドイツスタンダードな乳製品、肉の塊の食事は弱った胃に重すぎる。
東京に戻った私は、疲れた胃を癒すべく、肉も、乳製品も食べなくていいという、
まさに私が求めていた食事に出会うのです!
マクロビオティック。
食の新しい扉を開けちゃいます。
やっぱり学校に通い、しっかり学ぶんです。根がまじめなので。
グラフィックデザインのバイトも見つけて仕事復帰。
同時に不妊治療専門の病院にも通いはじめます。
数日おきにおしり注射に通うことに。
2分で終わる注射のために2〜3時間待つのは当たり前。なので、仕事は断念。
漢方薬局にも通い、煎じ薬を毎日煎じました。
漢方医のアドバイスで夫と二人で走ったり、縄跳びしたり。
薬恐怖症になった私は、体外受精はしない、と決めていたので、徹底的に食でカラダを立て直す覚悟をしていました。
すると!
病院に通いはじめて半年、34歳にして無事妊娠。
7年に及ぶ不妊治療からついに解放され、
これでやっと人生設計ができると喜んだのも束の間、
待ちに待った初孫が生まれた翌日に事件はおこります。
超元気だった父が、突然危篤になり、2日後に亡くなったのです。
人生のあっけなさったらないです。
お肉が大好きだった父。
里帰りしたマクロビオティックにはまった娘によってお肉は封印され、
「あと20年は生きるぞ!」
と宣言した1週間後に、この世界からいなくなってしまいました。
お父さん、美味しいお肉、もっと食べさせてあげればよかったよ、ごめんね。
マクロビオティックにはまって、おしつけてごめんね。
なんて悲しんでる暇はほとんどなく、生まれてはじめての育児が開始します。
授乳に待ったはないんです。
おっぱい飲んでねんねして、、、、
って、寝ないじゃん!!!!
父を失い、センシティブになった母である私。
センシティブな母に育てられた息子もやっぱり超センシティブ。
寝不足な日々がはじまります。
そして、ようやく、ようやく落ち着きを取り戻しはじめた息子1歳半のとき、
再び転勤が決まるのです。
今度は、タイの漁村だって。
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