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大喜利講評#1『ありがた迷惑な寿司屋』

労働者のみなさま、そして無職のみなさま、ごきげんよう。昨日は月曜日の真っ昼間という労働真っ盛りの時間帯に大喜利に参加してくださって本当にありがとうございます。私たちは生きるために仕方なく労働に勤しむのであって、けっして労働するために生きているわけではありません。従いましては、いつも心の片隅で面白おかしいことを考えているような、そんな心持ちで働くのが精神衛生上いちばん宜しいかと思います。

さて、昨日のお題はこちらでした。

『寿司屋が始めたありがた迷惑なサービスを教えてください』

寿司屋というのはとても素敵な空間だと私は常々感じております。カウンターに座れば、寡黙な板前の無駄のない仕事に見入ってしまったという経験は誰しも一度はあるのではないでしょうか。寿司という料理はそれ単体で見た目・香り・味の全てを兼ね備えた完成形であるように感じますが、実はそこに至るまでの板前の仕事(パフォーマンス)も寿司を構成する重要な要素のひとつであることは見逃されがちな事実です。「料理はライブ感」とはよく言ったもので、オーボエがA音を鳴らしたときから既に演出は始まっているのです。

さて、このお題について考える際に最も重要なことは”ありがた迷惑”とは一体何か、ということです。ありがた迷惑とは”ありがたい”と”迷惑”を組み合わせてできた言葉ですが、迷惑行為の一亜型です。インターネットでこの言葉の類語を調べてみると”余計なお世話”や”親切の押し売り”などがヒットしました。多少のニュアンスの違いはあれど概ねそのような解釈で問題ないと思います。既にお気づきの方もいらっしゃることと思いますが、ありがた迷惑とはありがたい迷惑行為ではなく、善意のもとに行われた迷惑行為であることに注目しなければなりません。受け手側がありがたいと感じるかどうかは大した問題ではありませんし、むしろそうではない場合がほとんどでしょう。

では、ありがた迷惑が迷惑である理由は何なのでしょうか。それはありがた迷惑な行為それ自体ではなく、先に述べたように迷惑行為が善意のもとに行われているという捻れた性質のためです。善意によって為された行動であるために文句を言うわけにはいかない、かと言って心からの感謝を述べることも難しい。そこで私たちは意図的に表情筋を動員した結果完成した不自然な笑みを浮かべながら「どうもありがとうございます」という旨の定型文を口にするのです。

つまり、解答には善意によって為された(と思われる)行為を含める必要があります。単なる迷惑行為をありがた迷惑な行動として答えてしまった方は、既に周囲にありがた迷惑を振りまいている可能性がありますから胸に手を当てて日頃の行いを振り返ってみましょう。ここはテストには出ませんが大切なことです。まともな大人ほど他人を咎めるようなことはしませんし、それ故にテストには出題されません。

それでは実際の解答の中から優れていると感じたものを一つ取り上げてみましょう。

Tさんの解答
『ナンおかわり無料』

簡潔でありながらしかし必要十分で、寿司屋なのにナンという発想の飛躍が素晴らしい解答でした。解釈の余地が残されていることによって様々な想像が可能となっています。

容赦ない日差しがアスファルトに注ぎ込まれるある日、築地の外れにある古びた寿司屋の前にその若い男は立っていた。店先に貼られたメニューを注意深く確認し、頭の中で算盤を弾く。大丈夫だ、足りる。彼は自分にそう言い聞かせた。デニムパンツで手汗を拭い店の引き戸に手をかける。色黒で愛想の悪そうな板前がちらりと入り口の方に目をやり「ィらっしゃぃ」とたどたどしく言うと、カウンターに視線をやった。どうやらカウンターに座れということらしい。彼はぎこちない様子でへたった座布団が載せられた硬い椅子に腰掛け、「ランチセットAをお願いします」と言った。板前は少し顔を上げ、小さく頷く。彼は板前の仕事を見ながら、デニムパンツのポケットに入った薄い財布の感触を大腿で感じざるを得なかった(※彼はZ世代なので普段はキャッシュレスを活用して生活しています。よって財布も薄くなっています。これは彼が貧しいことの比喩的表現ではありませんが、実際彼は金欠です)。ぶっきらぼうに寿司下駄が置かれた音に驚き前を向くと、その上には握り寿司が6貫とひとつまみのガリが載せられていた。その美しい宝石から漂う酢飯の香りが彼の鼻腔を刺激する。鮮やかな橙色を呈した車海老の握りを口に運ぶ。その美味しさは彼の食欲のスイッチをオンにするには充分だった。彼は一目散に食べた、そしてあっという間に食べ終えた。しかし6貫の寿司は彼の胃袋を満足させるには至らなかった。大きくて重い湯呑で玄米茶を飲みながら彼は思った。初めから分かりきっていたことである。少し背伸びをして廻らない寿司屋に来たは良いものの、それ以上の奮発はできなかった。彼はカウンターの反対側で雲丹の軍艦を口に運ぶ腹の出た中年を見て恨めしく思った。ぱさり、となにかが置かれる音がした。彼の前には板前が立っていた。そのネパール人(説明が面倒なので周囲にはインド人ということで通っている)は寿司下駄に置いた巨大なナンを指さしながらたどたどしく言った。「ナン、おかわり、むりょです。」

脳内より抽出

これはまさしくありがた迷惑の一例でしょう。ネパール人の板前は善意から、ナンを提供してくれました。確かにそれは寿司だけでは満たされなかった男の胃袋を満たすでしょうが、初めての廻らない寿司屋に緊張していた男の達成感を粉砕するだけの破壊力を併せ持ちます。

大喜利講評#1は以上です。今回のお題で佳い解答が思いつかなかった方も、是非また参加して頂ければ幸いに存じます。滅気ずに続けていればいつか素晴らしい解答に漂着する日が来るかもしれません。それでは次回の大喜利でお逢いしましょう。アリーヴェデルチ!


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