のりまき姫の大冒険

 いつのことか、どこのことかは知らないが、海苔巻きの大好きな小さな女の子がいました。
あんまり大好きなので、家族のみんなから海苔巻き姫といわれていました。
ある日、お母さんに海苔巻きをおばあちゃんのところに届けてくるようにと言いつけられました。海苔巻き姫はおばあちゃんのことが大好きでした。海苔巻きが好きになったきっかけも、おばあちゃんに海苔巻きの作り方を教えてもらったからでした。
 そのおばあちゃんは今病気で寝ています。だから早く元気になってもらおうと、元気をいっぱい巻込んだ海苔巻きを届けることになったのでした。
 でもあばあちゃんのお家へ行くには、暗い森を3つも通り抜けなければなりません。実は海苔巻き姫にとってこれが初めてのお使いでした。初めてのお使いにしてはけっこうハードなミッションだとは思うのですが、とにかく頑張って海苔巻きを届けることになりました。
 姫お気に入りのバスケットに、姫がお腹が空いたときに途中で食べる分と、おばあちゃんに届ける分とが用意されました。
 いつも寝坊ばかりしている、姫ですが、今朝はおばあちゃんに会える嬉しさからか、ラジオ体操の放送が始まる時間より前に起きて出発しました。
 お家を出てしばらくすると、1番目の森に入りました。そこはなぜか昼間なのに暗くて気味が悪いところでした。なんで昼間なのに暗いのかなと思っていたら、お気に入りのサングラスをかけているからだと解りました。海苔巻き姫はそのサングラスをはずしてバスケットにしまいました。そうするとさっきまでの暗さがうそのように明るくなっていました。とたんに足取りも軽くなりズンズン森の中に入っていきました。しばらく歩くと、道が二手に分かれています。姫は迷いました。
「困ったな、あばあちゃんのお家に行ける道はどっちかな」
 するとそこに1匹の白い犬がしっぽをフリフリひょこひょこと現れました。姫はその調子の良さがちょっと怖かったけれど勇気を出して犬に尋ねました。
「白犬さん、白犬さんこんちにワン、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「何ですかワン」
「おばあちゃんのお家に行くのはどっちの道ですか?」
犬は答えました。
「なんだつまらん。教えてあげる替わりに海苔巻きをくださいな。ワン」
寂しがり屋なのにわざと、つまらんなどと不機嫌なアプローチでいつも他人に嫌われていました。本当は性格の良い犬なのにです。
「いくつほしいのですか?」
「できたらいっぱい欲しいな、ワン」
日頃から人の話を聞かない姫は、ワンと聞いたので一切れだけあげました。犬は一切れしかもらえなかったのが不満のようでしたが、やはり気の小さな性格で反論することもできず、それでも鼻をクンクン鳴らしながら、しぶしぶ教えてくれました。
「右の方へ行くといいよワン」
 姫は教えてもらった道の方へと歩いて行くとまもなく森を抜けることができました。
 するとそこには大きく深い河がゆったりと流れていました。付近を見渡しても橋はありません。向こう岸には大きな樹が見えます。それはまるでブロッコリーの形そっくりです。とたんに姫はお腹が痛くなったような気がしました。実は姫はブロッコリーが大の苦手でした。ボロボロと口内でほどける花の部分の舌触りの気持悪さや、茎の部分のなんとも青臭い感じ、そして歯が触れる瞬間の感触など、想像しただけで、お腹がきゅっとしてきます。
 だから向こう岸に渡ることはどうも気が進みません。でも向こう岸に渡らなければおばあちゃんのところへは行けません。姫は困ってしまいました。
 するとそのときです、河底からブクブクと泡がたってきました。初めは小さな泡粒だったのがしだいに大きくなって、ボコボコと源泉かけ流しの沸き立つ温泉のように泡だってきました。やがてその泡の中から黒い大きな固まりのようなものが浮いてきました。それは姫がいつか図鑑で見たクジラでした。
「しろながすだ!」
 姫は思わす腰を抜かして叫びました。ガバッーと大きく波飛沫をたてながら大きなそのクジラは浮かびあがりました。すると今度はクジラの背中がゆっくりと二つに割れ、中から羽を休めたままのヘリコプターが出てきたのです。このしろながすはクジラの形をした潜水艦だったのでした。そしてそのヘリコプターの横には姫と同じような年頃の男の子が立っていました。男の子はニコニコしながら手を振ってきます。姫もつられて手を振りました。離れているので声は聞こえないはずなのですが、何故か男の子のしゃべっていることが解りました。
「ヘリコプターで向こう岸まで乗せてあげるよ」
そう言うと男の子はヘリコプターの操縦席に入り込み、エンジンをスタートさせました。大きなプロペラがグルグルと回転していきます。やがて河面を巻き上げながら空中に浮き上がると、あっという間に姫の待つ岸まで飛んできました。姫はなぜか恐怖を感じることもなくそのヘリコプターに迷わず乗り込みました。シートベルトを締めると、姫はその男の子の顔をじっくりと見ました。どこかで一度会ったことがあるような、そんな不思議な気分です。そこで姫は男の子に尋ねました。
「どうして私を助けてくれるのですか?」
男の子はやっぱりニコニコしながら答えました。
「僕は将来姫と結婚することになるガリ王子です」
それを聞いた姫は嬉しいような、照れくさいような気持になりました。そして気が付けば姫の頬には生まれて始めての涙が一筋流れていました。
 そして涙は姫の手の甲に落ちると見る間に輝く大粒の真珠に変わっていきました。そして、その輝く真珠玉を王子が摘んで言いました。「これは次ぎに出会うまで僕が預かっておきます」
 姫は思いました。自分が流した涙なのだから、それは筋が違うんじゃないかと。少しごまかされたような気もしないでもなかったのですが、でも王子のニコニコ笑顔を見ているとそんなことはどうでもよくなっていきました。王子は真珠を転がすだけでは無く姫をも転がしていたのでした。
 そして気が付けばヘリコプターはブロッコリーの岸に到着していました。どうせなら、おばあちゃんのお家までひとっ飛びしてもらいたいと思いましたが、またしてもそのニコニコ笑顔を見ているうちに言い出せなくなり、素直にそこでヘリコプターを降りました。
王子は言いました。
「じぁあ将来また別のところで会うときまでさようなら」
 いいなずけの割にはえらくあっさりしていました。
 王子のヘリコプターは再びローターを回転させるとシロナガスへもどっていきました。ヘリコプターがシロナガスへもどるとすぐ二つに割れていた背中がもとに戻り、あっという間に水面に泡つぶを残しただけで河の中へと沈んでいきました。
 それでもなんとか河を渡ることができた姫はシクシクするお腹を押さえながら、大きなブロッコリーの木のよこを通りすぎていきました。
 まもなく2番目の森に入りました。2番目の森もさっきのときよりももっと暗い森でした。真っ暗でぜんぜん前に進めません。困った海苔巻き姫は考えました。
「どうしてこんなに暗いのかな?」
しばらくすると解りました。海苔巻き姫は恐怖のあまりさっきから両目をつぶっていたからでした。目を恐る恐るあけるとまぶしいぐらいに太陽の光が差し込んできます。お日様からエネルギーをもらった海苔巻き姫の足取りはしだいに軽くなっていきました。するとまた道が2つに分かれています。
「どっちに行けばいいのかな。困ったたな」
するとそこに白い野うさぎがピョンと飛び出して来ました。
「どうしたのピョン」
「どっちの道にに行けばいいのか教えてくださいピョン」
「マネしなくていいのよピョン。教えてあげる替わりに海苔巻きを一切れくださいなピョン」
「いいよあげるだぴょん」
「ひつこいだぴょん。マネするなってばピョン。そんなにひつこいと教えてあげないだピョン」
「ゴメンゴメンまねしないから、教えてピョ‥」
「いま、ピョンと言おうとした!」
「してない! してない! 海苔巻き2つあげるから!」
「じゃあ教えてあげるだピョン。左だピョン」
「ありがとう、うさぎさん海苔巻きだピョン」
「あっ!」
 海苔巻き姫はすっかりピョンをお話の最後につけるのがクセになってしまいましたが、話し方だけではなく、うさぎさんのジャンプもマネるようになったので、2番目の森はあっという間に通り過ぎて行きました。
 そしていよいよ3番目の森の入口にやって来ました。
「この森さえ抜けるとおばあちゃんのお家だ。早く会いたいな」
 海苔巻き姫は、おばあちゃんに会えると思ってワクワクしました。しかし、海苔巻き姫はここで急にお腹が空いていることに気がつきました。でも、さっき犬さんと兎さんに、海苔巻きをあげたおかげで自分が食べる分が無くなっていました。後に残っているのはおばあちゃんに食べてもらう分だけでした。海苔巻き姫は困りました。お腹は空くけどおばあちゃんの分は食べられない。そこで、海苔巻き姫は考えました。海苔巻きの具の中で、高野豆腐と、三つ葉だけ少し抜いて食べれば大丈夫だと。しかし、最初は少しだけ食べていたのですが、あんまり美味しいので、そのうち全部抜いて食べてしまいました。
 そしてお腹がふくれてきた姫は、瞼が重たくなってきました。ここで寝たら遅くなるから寝てはダメだと思いながら、大きな柏の木の梢で少しだけ居眠りすることにしました。
 しばらくすると姫は夢をみました。
自分の目の前に杖をついた白髪のいかにも仙人といった趣のおじいさんでした。
「夢をみたいのかな?」
「そんなに夢を見たいとかいうことはないんですけど、でもせっかく眠ったわけだし夢を見てもいいかなって思います」
「なかなか優柔不断な子じゃの、普段から優柔不断なのかな、いまのはだじゃれじゃ、笑うのを我慢しなくていいのじゃぞ」
 姫は全然面白くなかったのですが、笑わないと機嫌を損ねて良い夢が見られないかもと思い、ややオーバー気味に大笑いしました。
「そうかそんなに面白いか素直な子じゃ、その素直さに免じて良い夢をみさせてあげよう」
「ありがとうございます」
 姫は先程のガリ王子と結婚式を挙げていました。式場はお城のようでした。ガリ王子は約束通り涙の真珠を指輪にして、姫の指にはめてくれました。それを近くで見守るのはニコニコ顔のお婆ちゃんでした。
「お婆ちゃん元気になったの?よかった!」
 この上無い幸せをそのとき姫は感じていました。
そこで目が醒めました。
 そして姫は大変なことに気が付きました。
「どうしよう。海苔巻きがカンピョウ巻になっちゃったピョン。それも締まりのないほぐれぎみな」
 相変わらず兎ぴゅん語はそのままでした。深刻な事態であればあるほどこの兎ピョン語は不謹慎でした。
それにしても気が付くのが遅かったのでした。
「おばあちゃんごめんなさいピョン!」
 すると急に涙がこぼれてきました。自分のふがいなさやおばあちゃんに対する申し訳なさなど、様々な口惜しい思いが起こり、姫はいっぱい泣いてしまいました。号泣です。そのうちすっかり目もうさぎさんのように赤く充血してしまいました。
 とその目の前に先ほど夢の中に現れた仙人が佇み、優しいそのまなざしを姫に向けていました。
「どうしたのかな、泣いているようだけど」
「あなたはどなたですか?」
 姫は解っているけど念のためたずねました。
「仙人じゃ、1人でも仙人ってな」
「面白い!」
 不意に投げかけられたダジャレに、心にも無いことを発していました。すると気分をよくしたのか、駄洒落仙人は包み込むような慈愛に満ちた表情をたたえながらいいました。
「何も言わなくても解っているよ」
 そう言うと仙人は杖を上に掲げ、呪文を唱えはじめました。
 姫は直感的に解りました。この不完全な海苔巻きを元の海苔巻きに戻してくれるのだと。
「イナ~リア~ゲアゲ~」
こう締めの呪文を姫のバスケットへ気合いもろとも投げかけました。
 しばらく目をつぶった仙人は深く息を吸い込み、しずかに瞼を開けました。
「そのバスケットを開けてご覧なさい」
 姫は言われるままにバスケットを開けて中を覗きました。するとどうでしょう。姫はバスケットの中の衝撃的な光景に、目眩すらしそうになりました。
「いなり寿司…」
 そうでした、仙人は海苔巻きをいなり寿司に変えてしまったのでした。
「いなり寿司じゃダメなの!」
 思わず叫んでしまった姫。声は山にこだましていきました。しかしそのこだまが姫の元に帰ってくるころには、既に仙人の姿はどこにもありませんでした。仙人風に言うなら「仙人の姿はどこにもありませんにん」。
 いなり寿司じゃ、海苔巻き姫の苦労も水の泡、海苔巻き姫の存在理由、IDも霧散してしまいます。本当のどん底へと落ちていった気分でした。
「あ~っおばあちゃん」
 再び号泣となるのでした。
 と、そこでお姉ちゃんは目がさめました。
お姉ちゃんは今大学の1年生です。実家からの仕送りが少ないから、今、西武新宿線野方駅の商店街にあるお持ち帰り寿司店うさぎ屋でバイトしています。最近はよく海苔巻きを作らされるようになりました。その海苔巻きといなり寿司を買いに来る、白い犬を連れた常連のおじいさんがいました。口癖が「つまらん」なので、近所ではつまらん仙人とあだ名される名物おじいさんです。店に来てはそのつどおじいさんは文句とも皮肉ともつかないつまらん小言をお姉ちゃんに言うのが常となっています。言われ続けるお姉ちゃんはいつもイヤな気分です。最近になると、もはやセクハラまがいの言動もあったりして、お姉ちゃんはややノイローゼ気味になっていました。
 夢から覚めたお姉ちゃんは、なぜか蒲団を被ったまま泣き止みません。つまらん仙人の小言を思い出したからではありません。
 今日は、去年病気で亡くなった大好きなおばあちゃの命日だからでした。お婆ちゃんは病院のベットの上で家族に見守られながら静かに逝きました。そして最後にお婆ちゃんはお姉ちゃんの手を握りしめながら「ありがとう」と口を開いて最後を迎えたのでした。
 お婆ちゃんから中学の入学祝いに買ってもらった、中野サンプラザを小さくしたような形の、クリーム色の年代もののカシオのデジタル時計に目をやると、ラジオ体操が始まるよりも早い、そのお婆ちゃんが旅立った時間よりちょうど5分過ぎた時刻を示していました。
 そして右手の薬指には、お婆ちゃんの形見の大真珠の指輪が、頬を伝う大粒の涙と共に朝の光を浴びて光っていました。
 その時です。窓ガラスがビリビリと震えだしました。最初微かな振動だったのが次第に大きくなり、もうこれ以上震えると窓ガラスが壊れるのじゃないかと思うほど大きく振動してきます。まもなくそれが、上空からのものであることに気がつきました。これ以上大きくなると、もはや爆音を越えた破壊力とも呼べるギリギリのボリュームを地上に叩きつけてきます。
 お姉ちゃんは途端に漂う非日常的緊張感からして、すぐにこれが、陸上自衛隊のヘリコプターだと気がつきました。日常と非日常はこの薄いガラス一枚で隔たっているのでした。しかしまもなくすると、そのボリュームは次第に小さくなり、お姉ちゃんの住む練馬・光が丘の上空から遠ざかっていきました。ふと、今つき合っている自衛隊で潜水艦に乗っている彼の真っ白い精悍な顔が浮かび上がりました。するとさっきまでの胸騒ぎが嘘のように、静かになっていき、それと引き替えに再構築された静寂が蒲団の中に戻っていきました。忘れていた眠りも再び頭の中を占領していきます。
「眠たいぴょん~」
 いつも彼に甘えるときは決まってぴゅん語です。ときにそのぴょんのさらに下に、軍隊式に「~であります」なんてつけてふざけることもあります。でももう2ヶ月近く彼とは会っていません。どこかの海に潜っているからでした。一応防衛機密だからと、彼はいつも帰港の予定を教えてくれません。それがお姉ちゃんには不満でした。
「防衛省のバカ野郎だぴゅんであります」
 お姉ちゃんは海軍式の敬礼をすると、その静寂を噛みしめ、目をつぶり枕に顔を埋め、さっき過ぎた不条理な5分を取り戻すかのように、再び不謹慎な海苔巻き姫へと戻って行ったのでした。

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