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歴史の上に生きる僕たち。サステナブルツアーの先にある、地球にやさしい旅を目指して

「風を受け、いのちを祝う 地蔵の森」のやっくんこと福元です。
先日投稿した

の内容にフィードバックをもらいました。
関係性がすごく深い方からの指摘だったこともあり、いい意味でぐるぐる回り続ける、すごい問いを受け取りました。
正直、どストレートにフィードバックもらったので、僕としては珍しく自分の中で消化することができず、数日ボディーブローのようにじわじわと効いていました。。。苦笑
やっと消化し始めることができ、
自分の世界(想い)を表現することによって生まれる次への世界(想い)にありがたさを感じている今日この頃です。
フィードバックから大反省もありながら大きな学びもある中で、
すでに世界に放った言葉は、取り消せるものではないと思っています。
簡単に記事は編集することが可能ですが、修正ではなく、
自戒の念を込めて発信することで自分に責任を持って、GWのツアーに臨みたいなと考え、フィードバックをもらった方に了承を得て、この記事を書きたいと思います。

歴史の上にある観光、サステナブルツアーの先にあるもの

自戒の念も含めて、そのままフィードバックをいただいたメッセージを載せます。

やっくんのアクションを伝えてくれてありがとう。 実は、この旅のnoteを読んだ時、ある感情が激しく沸き起こってきてしまって、返答をすることができませんでした。一度、心が落ち着いてから反応したかったので、今メッセージを書いています。 この旅への想いや考えの根本的なところには共感できるんだけど、これは誰に向けたメッセージなのか?そして、どんな人たちに参加してもらって、どんな世界を創ろうとしているのかな?というのかが、疑問として浮かびました。
その意図によっては、ある種のマスタベーションな旅になりかねないなと…。 ”旅は与え合うもの。奪うものではない”… この言葉は、核心をついているのだけれども、伝えるにあたっては諸刃の刃。 
やっくんのこのnoteを読んで沸き起こった怒りのような感情は、今に至る屋久島の観光のあり方(特にこの30年くらい)をとらえ方によっては、全否定するものとしてもとらえられます。少なくとも僕はそうとらえてしまった…。
自分も屋久島の観光に携わる端くれとして、旅人と分かち合ってきたものもあったはずなんだけど、奪ってきてばかりだったのかなと… 怒りのような感情の後には、とても深い悲しみに似た感情が沸き起こりました。その悲しみは、これまで(特にこの30年)屋久島の観光に携わってきた人たちの悲しみであり、屋久島に訪れてくれた旅人たちの悲しみなのかもしれません。そして、屋久島で生きて・いる人間の悲しみ。 ただ失われた30年だったのかと…。 でも、自分が携わったたかだか11年の屋久島の観光においても、旅人たちや島の人たちと分かち合えたものもいっぱいあったと思っています。それは何かの犠牲の上に成り立っていたのかもしれないけれども…。それでも、与え合えたものもあったはずだと思っています。 この30年における屋久島の観光を振り返り、これからもまだ大切に抱えていくものと、もうそろそろ手放さなきゃならないものを見定めて、アクションを起こしていかなくてはと思っています。それは人それぞれで異なるかもしれないけれど、その時、やっぱり対話が必要なんだと思います。

まずは、丁寧にメッセージ送ってくださったことに本当に感謝です。
そして、僕の描いた世界に真摯に向き合ってメッセージをいただいたことに本当にありがたく思っていると同時に大きな学びを得ることができました。
まずは、文章に謙虚さが足りなかったと同時に怒りの感情や悲しさの感情を沸かせてしまったことに大反省でした。
表現に謙虚さが足りず不快な思いをさせてしまいましたが、僕個人として屋久島の旅全てが奪われていると思ってるつもりは全くありません。
むしろ、サステナブルツアーと呼ばれるような人間と自然が共生する持続可能な旅を提供しているガイドが日本一多いのが屋久島ではないかとも思っています。
そう感じているのは個人の感覚の問題で、
教育者として活動している僕は、ある意味観光に深く関わっていないからこそ出てしまった、プライドを持った方々に配慮しない無神経な言葉だったと反省しています。
観光に対してアマチュアである僕が屋久島の世界自然遺産を守ってきた歴史の上にある観光・旅をさせてもらっていることに謙虚さが足りませんでした。
世界遺産登録から30年間屋久島を守り続けた歴史ある観光・旅の上で僕は活動させてもらえるのだと改めて謙虚な気持ちを持たないといけないと自覚した時間でした。

”旅は与え合うもの。奪うものではない”

反省はしましたが、それでも自分が世界に解き放った言葉には責任を持たなければならないと感じています。
”旅は与え合うもの。奪うものではない”…。と表現した意図
それは、少なからずそういう風に感じている自分と観光に携わっていない島の人たちがいると感じています。
島出身の僕だからこそ島育ちの人たちが気さくに話してくれることがあると思っています。
島のおじーとおばーが話してくれた
「屋久島が疲れている」「屋久島を休ませてあげたい」
という言葉が僕の心の中に棘のように刺さっていました。

そんな中で生まれた問い
今回の企画につくるにあたりに屋久島で旅を提供する立場として僕は屋久島に何ができるのか。

この旅の文章は、誰か特定の人に向けたメッセージを書いたのではなく、僕自身の中からでできた言葉を表してみたものです。
メッセージをくれた方の問いに答えるとしたら、自分自身に書いたものです。(企画として、それで良いのかというところがありますが。。。) 
僕のスタンスとして、「まずはやってみて考える」を大切にしていて誰とどんな世界を作りたいかも場を通して学ぼうってところが大いにあります。
指摘のあった、ある種のマスターベーションという指摘は的を得ているかもしれません。。。

地球にやさしい旅とは

今回のコンセプトは「地球にやさしい旅」
文章がかなり俯瞰した書き方になってしまっていて、
ポジションもあやふやになっているなと反省です。 
今回のことをふりかえり中でただ、
主語は屋久島でなく、地球。
地球から奪うのではなく、地球と人と分かち合える旅を屋久島から
伝えたかったんだと再認識しました。
まだまだ、学んだことは多いですが、今回は長くなりそうなのでここまで。
改めて、真摯に僕に向き合いメッセージをくれた方に感謝を伝えたいです。
ありがとうございました。

地球の宝屋久島から生命が満たされる旅を

屋久島は本当に素晴らしい島です。
屋久島は地球を感じる島。
地球の子どもたちとして僕たちは何ができるのか。
これからも人が訪れるほど屋久島が地球が喜ぶ旅を探求したいと思います。
最後に僕が大好きでこの旅の根底にある屋久島憲章を記して終わります。

      屋久島憲章 (H19.10.1屋久島町(H5策定))

 前文 
地球と人類の宝物である屋久島。 
この島は、周囲132㎞、面積503㎞2の日本で5番目に大きい島である。
 屋久杉を象徴とする森厳な大自然に抱かれ、神々に頭をたれ、流れに身を浄め大 海の恵みに日々を委ねて人々が生きた島。 
この島は、はるかな昔から人々の魂を揺さぶりつづけ、近世森林の保全と活用で 人々が苦しみ葛藤した島である。
そして今、物質文明の荒波をようように免れた屋久島は、その存在そのものが人間に対する啓示であり、地球的テーマそのものである。
 この島に住む私たちは、この屋久島の価値と役割を正しくとらえ、自らの信念と 生きざまによって、この島の自然と歴史に立脚した確かな歩を始める。
そのため、 この島の自然と環境を私たちの基本的資産として、この資産の価値を高めながら、 うまく活用して生活の総合的な活動の範囲を拡大し、水準を引き上げていくことを 原則としたい。 
この原則は、行政機関はもちろん、屋久島に係わる全ての人々が守るべき原則で ありたい。 国の自然遺産への登録も、鹿児島県の環境文化村構想も、この原則を尊重し、理想へ向けて、その水準を高く100年の計を誤らず推進されることを願うものであり、 これを契機として、次のことを目標とし、ここに屋久島憲章を定めます。

条文 
1 わたくしたちは、島づくりの指標として、いつでもどこでもおいしい水が飲 め、人々が感動を得られるような、水環境の保全と創造につとめ、そのことに よって屋久島の価値を問いつづけます。 

2 わたくしたちは、自然とのかかわりかたを身につけた子供たちが、夢と希望 を抱き世界の子供たちにとって憧れであるような豊かな地域社会をつくります。 

3 わたくしたちは、歴史と伝統を大切にし、自然資源と環境の恵みを活かし、 その価値を損なうことのない、永続できる島づくりを進めます。 4 わたくしたちは、自然と人間が共生する豊かで個性的な情報を提供し、全世 界の人々と交流を深めます。


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