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#山尾三省の詩を歩く 10月

秋の祈り―――辻 幹雄さんに

      金木犀咲き匂う秋の日に
      祈りの心が たどりつく
わたしの心が 静かでありますように
      あなたの心が 静かでありますように
わたしの心が 流れますよう
      あなたの心が 流れますよう
金木犀咲き匂う秋の日に
      祈りの心が たどりつく
わたしの心が 人を責めませんよう
      あなたの心が 人を責めませんよう
わたしの心が そこに仏(神)を見ますよう
      あなたの心が そこに仏(神)を見ますよう
金木犀咲き匂う秋の日に
      祈りの心が たどりつく
わたしの心が 傲(おご)りませんよう
      あなたの心が 傲りませんよう
わたしの心が 幸(さきわ)いますよう
      あなたの心が 幸いますよう
金木犀咲き匂う秋の日に
      祈りの心が たどりつく
わたしの心が 流れますよう
      あなたの心が 流れますよう
わたしの心が 幸いますよう
      あなたの心が 幸いますよう
金木犀咲き匂う秋の日に
      祈りの心が たどりつく
      祈りの心が たどりつく

山尾三省『祈り』(野草社)

書き出しの一節は「金木犀」と「祈りの心」という言葉があまりにもしっくりと響き合っていて、一度読んだら忘れられない一節になっている。
金木犀が祈りの心と結びつくのは、やはりあの香りのせいではないだろうか。
あの金色の小さな花が香りをあまり持っていず、視覚的な美しさだけだったら、このような祈りの心に結びつかないような気がする。
確かに金木犀の香りなのだが声高な自己主張ではなく、甘いが甘ったるくはない、素朴な香りが静かな祈りの心を呼び起こすのだと私には思われる。
その意味で金木犀は特別な花だと思う。
人を責めることなく、驕りたかぶらず、静かに、心の流れに沿って流れ、わたしとあなたの境を超えてゆたかに結ばれ、そしてまたわたしはわたしであることを、あなたはあなたであることを深めていく……そうであるための祈りである。

今朝(10月15日)、外に出て、「あれっ?」と思って、見上げると三省さんが植えた我が家の金木犀が咲き出していた。2、3日前に見あげた時には、蕾も付いてないように見えたので、今年も昨年と同じように10月末まで咲かないんだなと思っていたので、びっくりした。
こんなふうに、毎秋毎秋、金木犀の香りは人々を驚かす。
そして、その香りは「もう秋の只中にいる」という驚きとともに自分を省みることを促してくれ、本来私たちの心の中に誰もが持っている静かな祈りの心を呼び覚ましてくれるのだ。まさしく秋の祈りの心を。

*「―――辻幹雄さんに」の辻幹雄さんは日本を代表する11弦ギターの奏者である。三省さんは辻さんに「秋の祈り」の詩を送り、辻さんはこの詩に曲を付けている。詩と曲が見事に調和していて、しみじみと祈りの心を呼び起こす歌になっている。
1997年には奈良・興福寺で三省さんと辻さんの「祈りの響き」が開催され、歌曲「秋の祈り」が発表されている。三省さんの死後、山尾三省記念会が作って販売した『火を焚きなさい』のCDには松井智恵さんの歌で収録されている。このCDは現在、山尾三省記念会に多少の在庫があり、2000円で販売している。

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山尾 春美(やまお はるみ)

1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。