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注意の残量

他の人はどうか分からないけれども、1日のうちに使える注意の量には上限があると思う。

ここで注意というのは、なんらかの仕事などに集中する状態を指している。スマートフォンのバッテリー残量のようなものか。

朝からいろいろな仕事をしていると、夜の23時くらいにはすっかり注意の残量がなくなって、ぼんやりしてしまう。本当はそのあとやるべきことがあるはずなのに、うまく注意を向けられない。

本を書く約束がいくつかあって、これに取り組みたいのだけれど、あれこれ目の前の仕事を片付けたあとでやろうと思っていると、注意の残量がなかったりして。

というのは言い訳で、なにかこう、もうちょっと工夫のしようがあるのではないかと思う。単に身の程を弁えず、引き受けてしまうのがあかんのかもしれない。

あとは単純に、文芸誌をまとめて山ほど読んだりすると、一種の過剰摂取状態と申しましょうか、フィクションと分かってはいても、頭のなかがいろいろとかき回されて、それが落ち着くまで他のことをやりづらくなる、といったこともありそうです。

あ、少し前に文芸季評(『文藝』2020年秋季号掲載予定)を書き終えたところなのでした。

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