数学用語のできるまで 第2回 名前の効能

さて、あれこれお話しする前に、まずはこれをお読みいただこう。

ものの名前がひとたび定まれば、人はその呼び方で迷わなくて済むようになる。ものに名前をつけるのは、呼び方で迷わなくするということに尽きる。

例えば「熊太郎」という名の人がいる。だが、この人は熊ではない。その姓は「中村」だとする。この人は人であって村ではない。「直」という名前の人がいるとして、その人が正直かどうかは分からない。五郎の兄に十郎がいるかもしれない。名前とは、あれとこれとを混同しないようにするためにあるわけである。

ものの名前の場合、形に由来するものもある。意味に由来するものもある。とはいえ、その働きはといえば、あれとこれを区別して呼び分けるのに便利という点にある。

数学の用語を訳す場合も話は同じだ。例えば、「幾何学」を英語では「ジオメトリー(geometry)」という。「ジオ(geo-)」は「地」のこと。「メトリー(-metry)」は「量る」だ。つまり「ジオメトリー」とは、日本語でいえば「量地学」となる。〔「ジオメトリー」という語は〕「ランド・サーヴェーイング(land survaying)」と呼び方こそ違うものの、あらわしている意味は同じである。いずれも「量地学」と訳される。

一方〔ジオメトリー〕は、点・線・面の理(ことわり)を講ずる学であり、他方〔ランド・サーヴェーイング〕は、測量の学である。あらわす意味は同じでも、両者を混同せずに済むのはなぜかといえば、〔ジオメトリーとランド・サーヴェイングという具合に〕呼び名が違うからである。

点・線・面の理を講ずる学を「ジオメトリー」と称して、これを「幾何学」と訳せば、文字があらわす意味はまるで違っている。だが、この訳し方は長いあいだ使われてきており、これで困ることもなかった。

また「マセマティクス(mathematics)」は本来「サイエンス」という意味であるにもかかわらず、「数学」と訳されているのも同様だ。他にも「アリスメティカル・プログレッション(arithmetical progression)」「ジオメトリカル・プログレッション(geometrical progression)」など、枚挙に遑がない。

いったんここで区切ろう。

これはなにかといえば、『東京數學會社雑誌』という雑誌に掲載された文章だ(★1)。1880年というから、いまから140年ほど前のこと。その文章の前半部分を現代語に訳してみた。原文は句読点も改行もなく一続きの文章だが、ここでは読みやすくするために適宜句読点と改行を入れてある(原文は後の回でお目にかける)。

著者や文脈についてはまた後で確認するとして、まずはここに書かれていることを見ておきたい。

冒頭では、ものに名前を付ける効能が説かれている。熊太郎という名前の人は、人であって熊ではない。そりゃそうだ。なにを言いたいのか。名前とは、他と区別するためにつけるものであって、名づけられるものやその性質と関係していなくてもよい。

著者は、なぜこんな話を切り出しているのか。

文中に書かれていないことを補足すれば、この文章の書き手は、英語による数学の用語をどのように日本語に訳すべきか、という課題に答えようとしているところ。

その上で、先ほどの名前の議論のポイントを要約すればこうなる。

・なぜものに名前をつけるのか。
・他と混同せず区別できるようにするためだ。

数学の用語も同じことが言える。というのが著者の主張したいことだった。つまり、数学の用語も、他の語と区別できれば用は足りるのだ、と言いたい。

その例として「ジオメトリー」が挙げられている。対応する日本語訳は「幾何学」で、これは現在も使われている。この「幾何学」という言葉をはじめて(でなくてもよいけれど)目にしたとき、変な感じがしなかっただろうか。「あ、そういうことね」と意味が思い浮かんだだろうか。

と、それはまた後で検討するとして、著者がここで言いたいのは、こういうことだ。「ジオメトリー」という英語を、意味に即して訳すなら「量地学」となるはずだ。なにしろ「ジオ(地)」を「メトリー(量る)」というわけだから。

他方で同じ意味の言葉に「ランド・サーヴェイング」というのがある。こちらも日本語に訳すなら「量地学」だ。

ところで、英語で同じような意味の「ジオメトリー」と「ランド・サーヴェイング」を混同せずに済むのは、端的にいって名前が違うからだ、というわけである。

この「ジオメトリー」を「ランド・サーヴェイング」と混同せずに済むように訳すためには、「量地学」とは別の訳語がよい。

「ジオメトリー」の訳語として、(当時)すでに使われていた「幾何学」という訳語は、ジオメトリーにぴったりというものではないが、区別するという点ではこれで困らない。

他にも「マセマティクス」を「数学」と訳すのも同じことで、意味としてはズレている。「マセマティクス」の原義は「サイエンス」、つまり「学問」だ。それだけに「数学」と訳せば、原義とはズレている。だが、他の用語と区別するという点では機能している。

およそこういうことが主張されている。

しかし、この文章の書き手は、なぜそんなことを主張しようと考えたのだろうか。次回は、文章の後半を読みながら、この疑問について考えてえみよう。


★1――中川将行「譯語會議院諸君ニ告ク」(『東京數學會社』第29巻第3号、1880、所収)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?