歌は記憶のスイッチ、あるいは悪夢の社員旅行について

かつて繰り返し聴いた歌は、熱心に耳を傾けていた頃の記憶と分かちがたく結びついていたりする。

私にとって、ビートルズの「ミッシェル」や「レットイットビー」は、そうした記憶のスイッチのひとつだ。

時は1990年代半ばのこと。私は、コーエーというゲーム会社に入社した。(細かい話だが、入社したときは「光栄」で、1998年にコーエーに変わった。以下では読みやすさを考慮して「コーエー」と記す)

当時、コーエーには社員旅行という行事があった。
社員は全員参加で、バスを連ねて宿泊地まで遠足のように移動して、もっぱら酒宴を催して楽しむというあれである。

この手の行事に参加するのが苦手な私は、なろうことなら行きたくないと心の底から願った。

だが、さすがに入社1年目からサボるわけにもゆかず、一度だけ参加したことがあった。

旅行の当日、数台のバスに分かれて乗るわけだが、特に新人と呼ばれる入社したてのメンバーは、各バスに均等に分けられる。私は、社長と副社長(光栄を創業した襟川夫妻)が乗る1号車に割り振られた。

車中は寝るなり本を読むなりすればよいだろうと高をくくっていたのだが、これがとんだ見込み違いであることに気づいたのは、まだバスが高速に入る手前のことだ。

バスが走り出す。めいめいがビールやらなにやらの缶を開け始める。
こうなれば、そう、飲めや歌えやという言葉のとおり、始まるのはカラオケである。

カラオケも、自発的に歌いたい者がマイクをとる方式であれば問題はない。実際はどうだったか。

新人は、自己紹介がてら1曲ずつ歌うという謎のルールが宣告された。

ああ、なんてメンドウな……と思ったことを、あれから四半世紀以上経ったいまもよく覚えている。空は青かった。

昔から1人でピアノやらギターやらを弾きながら歌うのは嫌いではない。したがって、いくらか歌える曲はある。さて、どうしたものか。

ほどなくマイクが回ってくる。ここはひとつ無難も無難にやり過ごそう。
私は、ビートルズの「ミシェル」を歌うことにした。

ところがである。

選曲を聞いた副社長が急にマイクを手にしてこんなことを言う。

「お、ビートルズ、いいねー! ほら、アワノ君、一緒に歌って!」
(その声も、ついさっきの出来事のように脳裡で聞こえてくる……)

アワノ君とは、当時の営業部長である。なぜアワノ君かといえば、アワノ部長は、社内でも知られたバンドマン、音楽通なのであった。

むむむ、なんだかややこしくなってきたぞ……
と思いつつ、でも、1人で歌うよりいいかもしれないと内心ほっとした。

Michelle, ma belle
These are words that go together well
My Michelle...

そして、たしかにアワノ君は上手だった。
私が主旋律を歌うのにあわせて、適当にハモったりもする。音程もバッチリだ。あ、なんだか気持ちいい……

というので、歌い終わり、アウトロがフェードアウトしきるのも待たずにマイクを次に回そうとしたところ、またしても副社長がこんなことを言う。

「いいね! もう1曲、ビートルズいってみようか!」

社長夫妻の琴線に触れる選曲をしてしまっていたことに気づいたのは後の祭りだった。

拒否するいとまもあらばこそ、1曲終わってウォーミングアップも終わったアワノ君が言う。

「じゃあ、次はレットイットビーでどう?」

記憶違いでなければ、アワノ君はこっちを向いてウインクして見せたと思う。

私がなにかを答えるよりも早く、バスガイドさんはリモコンを操作する(グルか)。容赦なくピアノのイントロが始まる。

When I find myself in times of trouble...
(私がつらい目に遭っているとき……)

という歌い出しは、普段以上に切々と実感がこもっていたかもしれない。

このたびもアワノ君のハモりによって気持ちよく歌ってしまった。
悔しい。これが歌の力というものか。

という出来事があって以来、ビートルズのこの2曲を耳にするたび、このカラオケバスの場面が脳裡で蘇るのだった。

行き着いた先の宴会場で女装をすることになったのは、また別の話である。


おしまい

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