備えあれば憂いなし。

「備えあれば憂いなし」

というのは、子供の頃、さんざん遊んだ歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』(光栄)で何千回と目にした言葉。

『信長の野望』は、群雄割拠する戦国の日本で、一大名として国を治め、天下統一を目指すゲームだ。

基本は、平時の内政と他国との戦の二つの繰り返しで、平時は治水工事をしたり、開墾を進めたり、経済振興をしたり、民に施しをしたりして、要するに国を豊かにするための手を打つのが常套である。

なぜなら、いざ事が起きてからでは間に合わないから。

「事」というのは、『信長の野望』の場合、他国から仕掛けられる戦や台風、干魃、米の不作、家臣の寝返りといった不測の事態を指す。

こうした出来事のなかには、隣国や家臣や民の状態から起きそう、起きるかもと推測できるものもある一方で、天災のようにいつ起きるか分からないものもある。いずれにしても、いつ起きるかをぴたりと予測はできない。

そんなときどうするか。

そこで「備えあれば憂いなし」というわけである。これは、ゲーム内でプレイヤーが内政の命令を出したとき、家臣が口にするセリフのひとつだった。

ゲームで繰り返し遊ぶうち、すっかり脳裏に刻み込まれてしまい、生活のいろいろな場面でも、「ああ、そうだ、備えあれば憂いなし、だよなあ」と思い浮かんだりするのであった。

もっとも、なにに備えておけばいいかということは、失敗を重ねるなかで身に染みることでもある。幸い私たちは、記録さえあれば、過去の人類の失敗にも学ぶことができる。学ばないこともできる。

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