学校出てから十余年

人間を始めてから、そろそろ半世紀になろうとしている。

それだけの時間を地上で送ってきたわりには、いまだに分からないことだらけで我ながら当惑してしまう。

そういう気分を味わうたび、思い出すことがある。比べるのもおこがましい限りだけれど、ゲーテの『ファウスト』の冒頭、書斎だか仕事部屋だかでイスに腰掛けたファウスト博士が、こんなふうに嘆いていた。

自分は哲学に医学に法律学に神学まで究めたというのに、なんということか世界についてなにも分からず仕舞いではないか。なんということだろう。

およそそんなことをボヤいていたのだった。あのとき、ファウスト博士は何歳くらいだったか分からない。ただ、そういう気持ちだけは痛切に分かる気がする。

思えば20代の頃は、いまよりものを知らず、この調子で5千冊だか1万冊だかの読むべき本を読めば、人類がこれまで知り得たこの世界にかんすることを網羅できるのではないか、などと呑気に考えていた。傲慢というか、無知というか、阿呆である。

さすがにいまはそんなふうには思えない。むしろ何かを知ろうとすればするほど、ますます分からないことが増えてゆく。ちょうど風船に空気を入れれば入れるほど、表面積も増えていくように。

とはいえ、嘆いていても始まらない。できることを楽しくやるのみである。

ちなみに、こんなとき脳裏に流れてくるのは、クレージーキャッツ の「五万節」である。〽︎学校出てから十余年、いまじゃ……

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