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岩波文庫に(勝手に)帯をつけるプロジェクト#02

なぜ、岩波文庫に(勝手に)帯をつけたいのか。まだ、その話に辿り着いていなかった。

理由は二つある。

一つは、岩波文庫の変遷に関わり、もう一つは、私の個人的な必要に関わる。まず、前者から述べてみよう。

前回説明したように、現在の岩波文庫には、帯の色による分類に加えて、著者を識別するための番号と、作品を区別する番号が備わっている。

改めて例を示せば、『与謝野晶子歌集』(改版第1刷、1943;第64刷、2005)は「緑38-1」という具合。緑は「日本近代・現代文学」で、「38」が与謝野晶子の著者番号。その1番目に収録された作品が、この本というわけだ。

他方で、岩波文庫にはこのような本もある(下の写真をご覧あれ)。

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ご覧のように、サミュエル・バトラ『エレホン――山脈を越えて』(山本政喜訳、岩波文庫、1935;第6刷、1952)という本だ。

初版が1935年で、私が持っているのは1952年の第6刷。古本で手に入れたこともあって、年季が入っている。ついでながら、この本にはスピン(栞紐)もついているのがお分かりだろうか。

この本は帯もなく、現在のような著者識別番号もない。この番号の仕組みは、1970年代半ば頃に始まったもので、それ以前には別の仕組みで番号が振られていたみたい。

『岩波文庫解説総目録1927~2016』(岩波書店)で見てみると、「赤268-1」とある。つまり、上記の本も後に著者番号が与えられたわけだ。

他方で、同じサミュエル・バトラーの『万人の道』(上下巻、今西基茂訳、1955)という本は、著者番号が振られていない。たぶん、この著者番号の仕組みが導入された後に重版されていないからだと想像している。

というわけで、岩波文庫に(勝手に)帯をつけたい理由の一つが、これでほぼ説明できたと思う。

要するに、現在の番号の仕組み以前の文庫は、そのままでは棚のどこに並べてよいか分からない。そこで目下は、たいへん不格好ながら、付箋に番号を書いて背表紙に貼っている。

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しかし、これは見目もよくないし、不便でもある。なにしろ単に付箋を貼っただけなので、すぐに取れてしまう。

そこで思いついたのが、自分で帯を作って巻いてしまえば、こうした不便もなくなり、しかも見た目も揃っていいじゃない、ということだった。

最初の思いつきはこういうことなのだが、考えているうちに、勝手に帯を作るなら、他の使い方もある、と気がついたのが、「岩波文庫に(勝手に)帯をつける」もう一つの理由なのであった。これについては次回述べることにしよう。

いや、そんなに引っ張る話題ではないのだけれど。

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