ページターンはハッピーターン

本には、ページをめくる楽しみがある。

それ自体が小さな達成感といおうか。

そんなことを思ったのは、『昭和文学全集』(小学館)のせいだ。

なぜかといえば、この本は1ページが3段組で、ページをめくってから次にページをめくるまでに、結構な間が空くのだった。

いやいや、読んで楽しければ、ページをめくることなんて、二の次、三の次でしょう。そういう意見もあると思うし、理解できる。

他方で、それでもページをめくる楽しみがあるとも思う。

ページをめくるごとに前へと進んでいるという感触を、手と耳と目で感じる。私の頭のなかでは、コンピュータゲームで、コントローラのボタンを押しこむ楽しみにも通じている。

昔、アメリカで刊行される小説が、やけに大きく、活字もそれなりの大きさで、余白もたっぷりとってあるのを見て、あれは一体なんだろうと疑問に思ったことがあった。なんでも大きいことはいいことだ、の精神かしらん、とか。

いまごろになって腑に落ちた。あれはきっと、物語の展開を追うようにして、ページをめくる楽しみを提供するのによいデザインなのだ。

本を読むとき、一文にじっと目を注いでまんじりともせず考えるような楽しみもある一方で、そんなふうに紙の上でも動いてゆくような楽しみがある。

いまの自分にとって、いろいろな意味でちょうどよく、ページをめくる楽しみを存分に味わえる本をつくるとしたら、それはどんな形になるだろう。

例えば、気に入っている小説をそんなふうに仕立ててみたい。まずは大きさ、それから組版を考えよう。いや、その前にパソコンを新調せねば……。

*タイトルはイメージです。

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