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なぜ考えない人が増えたのか

こん○○は。
作り手の想いにストーリーという名の翼を授ける「ストーリービデオグラファー」藤堂八雲がつづる、今日の雑感。



先日、あるタワマンの下にある公園で、コーラを飲もうとベンチに座った時のできごと。

小学校低学年と思しき二人の子供が、僕の近くで遊んでいた。

しばらくすると、どこから見つけてきたのか、大人のこぶしくらいの大きさの石をコンクリートの地面に叩きつけて割ろう、という話をし始めた。
危なそうだったら止めようかな、と思って、そっと見ていた。

子供だから、遠慮や危険察知は皆無。
全力で、石を地面に投げつけた。

が、割れない。

すると、ベンチからジャンプして、その勢いで割ろうとするではないか。

さすがに危ないと思い、声をかけた。

「ねぇねぇ、その石が割れたらさ、小さいかけらが飛ぶじゃん?もしそれが目に入って、君の目が見えなくなったら、どうなっちゃうと思う?」

少年は、すいませんとだけ言って石割りを諦め、離れていった。


昔の子供もそうだったのかなぁ?と、自分の少年時代を思い出してみた。
そしたら、僕も同じように石を割る子供だった笑。

当たり前だが、子供は、大人と比べれば「危険察知」という意味での想像力に欠ける。

なので、昔も今も、子供は失敗したり怪我したりしながら学習していくものなのだ。

今と昔で違うのは、昔は必ず近所に怖いおじさんがいて、さっきみたいなことをやっていたら雷のように怒鳴られて、コテンパンに怒られて、おまけにゲンコツとかもらって、二度としませんー😭😭😭ごめんなさいぃぃいぃぃ😭😭って泣いて帰る、というのがよくある風景だった(地域による)。


元号が二度も変わった今、そういう怖いおじさんは、もういない。
怒るおじさんどころか、僕のように声をかけて優しく注意するおじさんすら、絶滅危惧種になってきている。

世の中そんな大人だらけになってしまったのだから、「最近の子供は…」なんて言えないよね。

さて、話を戻そう。
考える力、想像する力が弱くなった原因は…

何も考えずに、ただ面白おかしくガハハと笑って見るような、テレビやYouTube番組。

間違いなくこれだ。


僕はそれ自体の存在価値を否定するつもりはないが、そうしたものが電波や回線上で垂れ流されている環境で育った若い人たちに、「考えるチカラガー」とか言っても、それはアンフェアというものだ。

いや待てよ。この話は若い世代だけじゃない。
大人も考えなくなっている。

そこで、映像を性質で分けると、どんな風に分類できるかなと考えてみた。
※ アニメは含めていないし、当然下記に当てはまらない例外もあるのでご了承を。

  1. 何も考えず受け身で見る、視聴者に何も残さない動画
    バラエティ番組やお笑いなど

  2. 何らかの情報をインプットしてもらう動画
    教育番組やノウハウを提供する動画など

  3. 何かを感じたり、考えるきっかけを与える映像
    映画、ドキュメンタリー、スポーツや芸術などの人間の真剣勝負など

  4. 人のこころを動かす映像
    3の中で、その人の人生や感性、価値観にピタッと重なって、琴線に触れたもの


かなり、先入観と偏見に満ち満ちた分類かもしれないが、僕の中ではこんな感じの定義になるのだ。

僕は常々、人に何かを感じ取ってもらったり、何かを考えるきっかけにしてくれて、そのうちの何人かの心が動いたり、前に進んだりしてくれる、そんな映像を作ろうという思いを持って活動している。

それが人の心を動かすかどうかは、もちろん映像の出来にも影響されるが、4に書いた通り、その人の人生や価値観に重ならなければ、琴線に触れないわけだから、多様性の時代、一つの映像が万人の心を動かせるということはないのだろうな。


話が長くなってしまった💦

マルチメディアが台頭し、人が活字を読まなくなり、人間の想像力が低くなったと言われて久しい。
かといって、もっと活字を読め!というのは現実的じゃないのも事実。

だったら活字じゃなくて、考えるきっかけを与えられる「映像」って、なかなか良くね?っていうのが、僕の考えだ。
読者のみなさんはどう思われるだろうか。


さて、YouTubeでも見てガハハって笑うか🤣

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