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10.24

 二日前にボーリングをしたときの筋肉痛がビリビリとしている。「普段使わん筋肉やから」と言ったその言葉が、じんわりとした腕の気だるさとともに残っていた。筋肉じゃなくたって、そういうものがきっといくつもあるんだと思う。あえて使わないようにしたもの、もう使いたくないもの、使わずにいるうち忘れてしまったもの。

 話せることが何もない、と思った。いまでも息を吹き返すように通知されるグループLINEが苦手だ。覚えていたいことも、思い出したいことも、何かのきっかけで身体中を巡る記憶だってある。あるし、当時話していた時間とか、内容とか、その関係の中にあった景色を想うとき、愛しいと思う。互いの生をしている中で、たまたま同じ時期に同じ場所にいたわたしたちの関係を、もう無理に引き伸ばさなくていい。もちろんわたしたちは関係し続けることも選べる。自らの意志で、互いの意志でそう願うならば。一度さまざまな形で関係しあってきたという事を理由に、互いのことに関心を抱き続けることなんて不可能で、そしてそれぞれの話は、どこかでエンタメ化していく。そのことがひどく恐ろしい。話すことは難しい。それが自分のことであったとしても。自分の抱えてきたこのひとりぶんの地獄を、エンタメにしない。それなら「あいつ今何してるんだとうね」のあいつになりたい。よくわかんないけど、生きてはいるらしい。それでいい。わたしもわたしで身勝手にあいつら元気だといいなと思っておくから。


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