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役満の雑談~30歳の誕生日/親ガチャって言葉が嫌い/規格外の変態到来~


8月18日、私の誕生日。

「新宿のバリアンまで来てね!」というベストフレンドのラインに「アフターのホストかよ!」と突っ込みながら、「あれ、バリアンってどこだったっけ?」と地図とにらめっこしながらその場所へとむかった。いつも通りクソ暑い時期の私の誕生日、日傘をさしているというのにびっしょりと背中に汗を感じた。

「よ!」といいながらエントランスに友達が立っていた。「何でバリアンなの?」という私の質問を無視しながら、友達は私をエレベーターに乗せる。「そういえば川崎のバリアンってすごいんだよ!多分関東1でかいんじゃないかな」なんて話しかけてみるも、友達は「はいはい」と流すだけ。一体バリアンで何をするんだろう??という?が頭に浮かんでいた。

「はい、ついたよ」と友達が言う。目の前には大きなガラス扉があった。友達が何かをかざすと、ピッという音が鳴った。ああ、VIPルームなのかな?この先に二部屋くらい特別な部屋があるんだろうか?と思っていると、開いた扉から大きなスクリーンが見えた。「ハッピーバースデー」というバルーンが飾り付けられている。

「え?なに?凄くない?この部屋何?」と私がきょどっていると、画面にsixtonesが映った。大好きなlaugh in the lifeが流れると「なんでsixtonesが流れてるの?」と友達に聞いた。その瞬間、「おめでとー---!」と大きな声で叫びながらベイビーちゃんが登場(登場人物がわからない人は私の友達について書いた記事読んでね)

驚いた私は、泣いたw

誕生日を祝ってもらえるのは勿論嬉しいけど、その場に大好きな人がいればもっと嬉しい。プレゼントなんかよりも、大好きなファミリーが集まってくれれそれだけで嬉しいのだ。

このファミリーの結成は、中学1年の時。

よくある仲良しグループ、という形ではなく「家族」という形でのグループ結成だった。勿論、旦那は推しであるw

スタイル抜群でドSで小山慶一郎が好きな美女がママ、可愛い田中聖坦が娘のベイビーちゃん、大阪からの転校生だったところをナンパして仲間入りした内博貴坦の妹、ベストフレンドが孫、という構成である。そしてあった時は本当の家族のように過ごしている。ママには甘えて、娘と妹は甘やかして、孫には厳しく、って感じであるw

もう

結成してから17年たつが、一度も喧嘩したことない。女同士の集団なんて仲違いしたりするもんなのに、ずっと仲がいい。

なんでだろうね?とこの前話したが、多分全員男前だからじゃない?と言う結論になった。よくある女の女々しいところがなくて、みんなさっぱりしているのである。話に同調したりもしないし、かといって否定したり無理に肯定したりもしない。「でも私はこう思うなー」という自己主張がみんなできるのである。だけどみんな愛情深くて、同じ青春を過ごした分結束力も強い。そんな大事なファミリーを持てて、私は幸せである。

話を元に戻そう、そうベストフレンドが用意した今回の私の誕生日のお祝いは、バリアンのパーティールームだったのである。めちゃくちゃでかいスクリーンでDVDも見れるし、カラオケも出来るし、冷蔵庫の物飲み放題だし、という素晴らしいサービス。さすがパセラグループ。本当に16歳くらいからいつもお世話になっているが、本当にここはおもてなしの精神が素晴らしい。以前も誕生日近い日にスクリーンのあるカラオケを予約したところ、頼んでいないのにお部屋にハッピーバースデーのバルーンが浮いていたこともあった。オタカラや鑑賞会もいつもパセラにお世話になっているが、本当にここまで素晴らしいサービスを受けれるコスパの良い店はない。

私たちは大画面でジャニーズを思う存分楽しんだ後、大好きなカラオケで歌って踊って、貸し出しのチェキで写真撮って、ご飯食べて、笑ってはしゃいで存分にパーティールームを楽しんだ。友達が用意してくれたティアラのおかげで、私は姫気分を味わいながらお祝いしてもらえた。本当に楽しい時間だった。

「さてと!時間だから出るか!」と言って外に出ると、「ちょっとドンキ寄りたいからドンキ行って良い??」と友達が言うので、歌舞伎のドンキに向かった。

「なんか買うもんあるの?」「ちょっとマニュキア欲しいんだよね」「ふーん」なんて会話をしながら店内を物色していると、私が進もうとするとそれを遮る女がいた。「なんだよ邪魔だなこの女」と思って顔を見上げると、そこにはニッコリ笑顔のママがいた。

「え?!なに?!びっくりした!!!!!」と叫ぶと、みんなが笑いながら「サプラーイズ!」と言った。本日2度目のサプライズである。驚きすぎて心臓縮んだような気分だった。何やら聞くと、ママは連勤中だというのに仕事帰りにこのためだけに来てくれたらしい。次の日も仕事だというので時間がないから記念にプリクラだけとってママは「じゃ!またね!はいプレゼント!」と私にプレゼントを渡し、颯爽と帰っていった。

それから適当な居酒屋でくっちゃべって、終電でバイバイした。数年前なら「よっしゃ―クラブ行って朝まで踊るぞー!」とかやってたけど、もう私たちにそんな体力はないw

30になるにかけて話す内容も、昔は男の話とかどぎつい下ネタとかだったのに、いつの間にやら健康とか老後とか保険とか投資の話をするようになってきた。まあ相変わらずゴシップとか金とか推しの話も大好きなんだけどね。

30歳、10代の時に思い描いてた30とは全く違うし30歳になってもソープ嬢なんて思ってもいなかったけど、とりあえず毎日幸せで、平和に過ごせてるのでいいんじゃないかな。20になった時は「もう大人になるのかあ、やだなあ」なんて思ったけど、30になると「私は私、イエイ!」と言う開き直りである。

読者の方もおめでとうの声ありがとう!サポートもたくさんありがとう!

30の役満も頑張ります。


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最近よく聞くようになった「親ガチャ」

私はこの言葉があまり好きではない。何故ならばどんなにいい親のもとで育ってもクズな奴はクズだし、クソみたいな家庭で育っても自分でのし上がる奴はのし上がるし、自分の人生なのに「いつまでも親のせいにする」という考えの人があまり好きではないからだ。

私が知り合った風俗嬢の中でも、親が国会議員でお嬢様育ちなのにホス狂いになって借金まみれになって働いてる子もいたし、実家が普通に裕福で高学歴なのに働いている子もいたし、親が毒親でクソみたいな家庭環境でも貯金して自分で学校行って看護師になった子もいるし、親に捨てられて施設育ちでも風俗で働きながら資格を取って起業した子もいる。

だから育ちなんか関係ないと思っている。育ちが良くてもダメな奴はダメだし、頑張れるやつは頑張れるのだ。

母はいつも「私が早く離婚していれば、あんたがそのまま進学していれば、今頃違う人生が送れていたんじゃないか」と言うが、それは違うと思う。どのみちどこかで爆発してただろうし、私のことだから夢だったアメリカ留学しても悪い友達作ってマリファナやコカインでも吸ってボンクラになってただろうし。

風俗に入ったきっかけは確かに父の借金のせいで生活が困窮したからだけど、それでも負けずに金でも貯めて学校とか行って手に職でもつけて普通の生活を送ることだってできたはずだ。でも私はそれをしなかった。その努力をしなかった。薬に逃げて酒に逃げて、流し流されて生きてきたから未だに風俗嬢なのである。

私はずっと死にたかった。その要因が「義父からの暴力、性的虐待」「過去の男のトラウマ」「親から愛されなかった寂しさ」「生きることが疲れる」だった。いつまでも親のせいにして、家庭環境のせいにして生きて来た。病んで、ODして、リスカして、それを全部親のせいにしていた。親がクソだから、私は悪くないと思っていた。

でも周りの風俗嬢を見て、ああ、育ちなんか関係ないんだと思った。きちんと目標を立てて、綺麗に辞めてく同僚を見ながら、私はいつまで親のせいにして生きているんだろう、と思った。もういい大人で、自分で自分の選択をできる年なのに。

確かに要因を作ったのは親だ。傷つけられた数々の出来事は今思い出しても腹が立つ。でも、一生そうやって暮らしてくのか?一生親のせいにして生きてくのか?と考えた時、それは違うと思った。

親のことは、諦めたのだ。もう生まれも育ちも恨んだってやり直せない。だったら、諦めるしかないのだ。そう言う親の元に産まれても、選択しているのは私。風俗嬢になったのも、シャブ中になったのも、自分で選択したこと。いつまでも過去に駄々をこねていたって、どうにもならない。選んだのは、私自身なのだ。だからてめえのけつはてめえで拭くしかない。それに親は子供を傷つけた自覚もなく平々凡々と生きてるというのに、子供の私がいつまでも苦しめられるのはバカバカしくないか。

親なんて結局ただの人間で、血がつながってるだけの関係なんだから、嫌なら逃げちゃえばいいと思うの。私は親が嫌だから、早くに親元を離れた。今でこそ仲良くできているけど、それは離れて暮らしているからだ。適度な距離がないと、親となんて仲良くできない。旅行で数日一緒に過ごすだけで疲れるというのに。一度シャブ中と別れた時、実家に逃げたが、母との生活は1年も持たなかった。毎日一緒にいると、仲良く出来ないのだ。母は過保護で子供は自分の所有物だと思っているような人間なので、どうしても喧嘩になってしまうのである。まったく勝手にエゴで産んだくせに、親って本当にめんどくさいよね。

家庭内暴力や性的虐待のことは未だに夢に見るくらいトラウマになっているし、男性不信の原因の一つになっているけれど、でももうどうあがいたってこの傷は癒えないのだ。無理やり絆創膏を張って、開かないように自分で自分を守るしかない。

親からの愛を欲しがっても、手に入らないものをいつまでも欲しがってもしょうがない。だって親からの愛なんかなくても別に生きてけるし、愛がなくたって別に呼吸だってできる。そんなものに執着して、いつまでも泣いて苦しんで過ごすの、マジで時間の無駄だと思う。なくても生きてけるものに執着する必要はない。

確かに、小学校時代の友人は皆金持ちの子供ばかりで、中学受験をしていい大学に行って良い企業に就職した子ばかりだ。いわゆるエリートばかりである。

でも、中学時代グレて高校中退した男友達たちも、土方仕事を頑張って独立して、私の月収をはるかに超えるお金を稼いでる人たちもたくさんいる。

どっちが幸せか、そんなのは自分次第だろう。

結局、全部自分次第なのである。

確かに金持ちの家に産まれたこと貧乏の家に産まれた子じゃスタートラインが違うかもしれないけど、結局自分の努力次第じゃない?どちらに産まれたって。だってどんなにいい教育受けたって、頭が良くない子だっているわけだし。グレちゃう子もいるわけだし。風俗嬢になっちゃう子もいるし。


ただ、虐待やネグレクトによって命を落とす子供たちについては別だと思っている。もっと虐待に気づく世の中になって欲しいし、虐待されてる子がきちんと守られる世の中になって欲しいと願っている。ひとりでも不幸な子供が少ない世の中になって欲しいと思う。

子供産む人にはこう言いたい。子供はあなたのエゴで産むんだから、ちゃんと成人を迎えるまで幸せに過ごせる環境を作れよ。ひもじい思いも悲しい思いもさせず、言葉や手をあげる暴力をせず、子供が色んな選択をできるような生活をさせてやってよ。決して自分の意見を押し付けないで、子供の意志を尊重してやってよ。そして何があっても愛情を注いで。いい?死んでも「産んでやったんだから」なんて言うなよ。お前が欲しくて産んだんだからな。


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この前接客したお客さんの性癖に、初めてドン引きしてしまった。

20の普通の陰キャっぽい男の子だったのだが、「言葉責めして欲しい、めちゃくちゃに責めて欲しい」との注文。ここまではいつもの平常運転なのでマットでいつも通りSモードで責めまくり、フィニッシュ。

問題はフィニッシュ後のトークだった。

「なかなか彼女が出来なくて」という彼の一言に「どんな子がタイプなの?」と聞いたところ「えーっと、ちょっと僕特殊な性癖があって…」と急に恥ずかしそうな顔をする坊や。

「全然気にしないよそんなの。どんな性癖?」と言うと、衝撃な返答が返って来た。それがこれだ。









「いや、あの、実は…69の体制で、お互いうんこをかけ合いたいんです」


「え?!」

さすがの私も驚いてしまった。今まで見たことも聞いたこともない性癖だったからだ。

「ですよね…そんな子いないですよね」

「まあ、ちょっとさすがにめちゃくちゃドMじゃない限り難しいんじゃないかな?」

と言いながら、ハタチにしてこの性癖を持つ坊やの将来が心配になった。ハタチでこの仕上がり、もっと大人になったら、どうなってしまうんだろう?

そんなこと話してたら、時計は残り10分を指していた。そろそろ着替えかな?と思っていると「すいません、自分でやってすぐ出すので、お腹にかけてもいいですか?」と坊やから注文が入った。

「いいよ、ギリギリだからちょっと早めにね」とお願いをしたけど、そんな心配はいらなかったようだ。1分ほどで、私のお腹に白い液体がドロリとたれた。

ティッシュで拭こうとすると「ちょっと待って!」と坊や。どうするのかと思ったら、私のお腹に口を付けてその精液をすべて吸い込むではないか。それをゴクリと飲み干すと、満足そうな笑顔をこちらに向けた。


私、ドン引き。


坊やは「お姉さんじゃなかったら、またソープ来ようと思わなかったです。ありがとう」と満足そうに帰っていったが、私は衝撃が多すぎてげっそりしていた。


いつかスカトロオッケーな子がみつかるといいね、なんて思いながらエレベーターまで見送り、世の中の性癖の可能性の大きさを考えていた。もう13年働いているのでどんな性癖でも驚くことは無いが、この坊やは私にとって衝撃的なお客さんリスト入りした。今までは尿道に綿棒を入れて欲しいと頼んできた人がナンバーワンだったが、もうそんなのふっ飛ばして彼がナンバーワンだ。

変態も色々あるなあ、と考えさせられたお客さんだった。

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