見出し画像

翌朝と本とKFCの日記 - 20210516

さいきん生活が未曾有の状態になっていまして、もう昼夜逆転とかですらない「正午に就寝して夜に起床する」みたいなリズムが5日くらい続いている。本当に助けてほしい。自由な暮らしなので支障とかはないんだけども、買い物とかごはんとか行きたいのに起きた時点で19時以降とかになってるので(気力とかではなく営業時間みたいな理由で)何もできない日々である。あと、治せない。夜に起きてすぐ直後の夜に寝るのも無理だし、かといって夜から翌晩まで寝ずにいるのもキツいというか、眠いから全然寝てしまう(正午だけど眠いから全然寝ちゃえ、と思うとき果てしなく自由を実感できるため)

この暮らしをしていると「どこからが今日でどこまでが昨日だったのか」「いまは今日なのか、昨日のままなのか」が本当にわからなくなってきて「『今日』が一週間くらい続いている」みたいな錯覚にすら陥る。

それで日記なんですけど、今日はがんばって正午の就寝を辛抱し、久々に日中に出かけた。本当に死ぬほど眠くて本当に死ぬかと思ったけど楽しかった。

昼前にシャワーを浴びて出発した。役不足は入浴の直後に外出することで、シャワーによってめちゃくちゃ濡れた髪を乾かす、というやつをよくやるので、多分そのたびに東京都内を加湿していると思う。

画像1

歩きながら米津玄師を聴いていた。なんかちゃんと米津玄師を聴くターンがかなり久々に来ている。結局「春雷」ほどに完成されたポップスの究極形って他にないんじゃないかと思う。キリンジの「雨は毛布のように」に対しても同じようなことを思っている。
当方、好きな米津玄師のアルバムを訊かれた場合YANKEEと即答するタイプの人間です。よろしくお願いします。

なんか傘さすかどうかが微妙すぎる優柔不断な雨が永遠に降っていて、はっきりしてくれと思った。

隣駅の街に来た。知らん土地を歩くのは好きだ。今日は有名なラーメン屋でラーメンを食べるぞという腹積もりが昨日からずっとあったのだけど無計画に出発したせいで17時の開店まで3時間近く暇になってかなり困った。あとこのあたりからもう信じられないくらい眠くて頭がおかしくなりそうであった(昼過ぎの時点で活動時間が20時間を超えていた)

画像2

なんでもあるのに漫画喫茶とかカラオケの類はなんもなくて時間はひたすらに持て余され、とりあえず近くにあったベンチに腰かけ、家族連れで賑わう日曜の公園を遠巻きに真顔で眺め続ける終わりの時間が開始された。

男の子が遊んでいて、ひとりで何回転もくるくる回って目を回した状態で走る、っていうのをやってたからなんとなく眺めてたんだけど、毎回散々回ったあと全くよろめくことなく完璧にまっすぐ走っていたのが面白かった。

反出生主義(ちょっとめんどくさい話を書くのでめんどかったら読み飛ばしてくれ)という思想では多くの場合「どんな人生であれ総合的には苦痛が幸福を必ず上回るものである」という前提のもとに出生行為の正当性を否定する。ここを起点として反出生主義は議論されるものだけど、もしもそれが覆った前提として「人生では必ず幸福が苦痛を上回る」という事実が端的に初めからあったとしたらどうなるんだろう、みたいなことをぼんやり(懸念でも検討でもなく、いわば思考実験的な空想として)考えていた。

画像3

その場合は間違いなく出生は「よい」ものとして肯定される(ここでいう「よさ」には幸福量の多寡という基準を起用しておく)し、むしろ一人の人を確実に幸せにするような、いうなれば慈善的、利他的な行為として明確に成立している。
ただ、出生という行為は(その「よい」「悪い」を論ずるにあたって)人生における他のあらゆる行為と並列に語れない異質さを備えている。それは出生という行為が「『よい』『悪い』影響を及ぼす行為」であると同時に「『よい』『悪い』を感知する主体そのものを発生させる行為」であるという異質さである。主体的存在者自体を一切の0から発生させ「存在させる」という点で、これは他の行為と軽率に並列できない唯一の性格をたたえたものとして語られるべきものである。

先述の「人生は必ずよいものとなる」という仮定が前提された場合、かといって出生、つまり「産んであげる」ようなことがどういう形の正しさを帯びてくる、もしくは帯びてこないのだろうか。既に存在する人を幸せにするのと、人を幸せにするために0からその主体を発生させるのとは、根本的な差異がある。利他のためにその「他」を設けるのは、0のまま何も無い状態「よりもよい」のだろうか。

そもそも、その0という無、と有とを比較できるものなのだろうかという疑問(これに関しては「無と不幸な生との比較」に興る本来の反出生主義でも議論されるところである)がある。というより、この仮定を検討することは無と有の比較可能性というその疑問への解答を浮き彫りにしていく一助にもなってくるのではないかな。
ちなみにこれは思いつきの思考運動みたいなものであって何かを問題視するような意図はマジで全然ない。

みたいなことを(さすがにここまで言語化するわけではなく)考えながら子供たちを眺めていた。嫌な奴だな。

時間がありすぎていたので適当に歩いていたら裏路地に小ぎれいな古書店を見つけた。3冊で200円とか書いてある。

画像4

「聖☆おにいさん」の持ってない巻と、ずっと気になっていた「波よ聞いてくれ」1,2巻が200円で手に入った。それはそれとしてジョージ秋山の「アシュラ」上下巻が400円で売られていてすごかった。読んだことあるのに買ってしまった。

なんかずっとタダで読める。凄みがすごすぎてすごいのでおすすめです。

よく知らん古書店を見つけて気になってた漫画を買うって、知らん土地を歩くにあたっていちばんいいリザルトかもしれんな。

公園に戻って子供たちを眺めていたら16時半を過ぎたのでラーメン屋に向かった。足取りは弾む。

ここ二日くらいロクに食事をしていなかったので胃に何も入ってなかったんだけど、この度を過ぎた空腹が爆裂油脂ラーメンの悦楽を加速させてくれると思うとその飢えすらも肯定できた。

今日はなんていい日曜日なんだろうなー



画像5




怒った



完全に怒った



本当完全に


完全よこれ




知らんからな


もう知らんから




怒ったから



怒ったからな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




画像6



怒ってるから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






画像7


おい



見ているか



お前のことだよ


なあ



見ているか



画像8

という感じでケンタッキーに闖入し、大暴れして帰路についた。


画像9

歩いてたらやばそうなおばさんが店頭で店員を怒鳴ってて嫌だった。店員も嫌そうだった。

画像10

また、この日の目的であった「飲料水を買う」を見事に失念していた。


いろいろ聴きつつ帰宅した。

画像11

友人に送った写真

実はミスドにも行っておいたので部屋が極楽浄土になり、人生と思った。

画像12

ケンタッキーのやつを開けるとくそでかい肉が三つ、でかい揚げ物、多いナゲット、多いポテトが入っていた。これらすべてを人生と思いながら食べた。世界一うまかったけど腹が完全に爆裂した。腹が完全に爆裂したのにドーナツ三つが控えていたので人生と思いながら食べた。

食べつつ、もったいなくて読破できずにいたよつばと最新巻を読んだ。結果、最終的にめちゃくちゃ涙が出て困った。よつばとを初めてちゃんと読んだのは最近なんだけど、この漫画から受けた衝撃は本当に語り尽くせない。正直この15巻はいちばん面食らったな。よつばとという漫画には最も大切なことが記されている。

よつばとに精神がガタガタになり、世界が、すべてが愛おしい、という気持ちで何も考えられないという完全な操状態のまま、30時間近く活動を続けた身体が限界を迎えていたので眠った。

なんとか21時くらいに就寝することとなり、やっとまともな生活に帰れる……という安堵感で胸がいっぱいだった。いつも半日以上寝ているので今寝れば翌日午前中のいい感じの時間帯に起床できるだろう。幸せな心持ちで深い眠りについた。



で、深夜3時に目が覚めた。


え?


なんか完全に目が覚めてしまった。しかも一時的に目覚めただけという感じでもなく、睡眠は完了してもう寝れないという感じでパキッと目が覚めていた。しかも全身が息切れして動けず苦しかった。何これ?何を間違えた?

だからこの日記は半分くらい翌朝に書かれています。助けてくれ。


そのまま活動していま午前10時なんだけど、結局また夜まで耐え忍ぶやつをやらなければいけない。助けてくれーーーー!!!


さようなら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?