受け取り方の違い

小学校の卒業式の前日、私は同じクラスの友達と約束した。

「明日(卒業式)は普段通りの服装だよね」
「ドレスみたいなのは恥ずかしいから、いつもの格好にしようね」

卒業式の朝、私は普段着で登校の準備をしていたら、父からこっ酷く怒られた。

「式典というものは、正装でいくもんだ。エレクトーンの発表会の服があるから、それを着ていけ」

でも、私は友達と約束したわけだから、父と喧嘩したまま普段着(トレーナーにスカート)で登校した。
(母から「せめて綺麗目のトレーナーを着てくれ」と言われ、仕方なくそれには従った)

学校に行くと、約束した友達はピアノの発表会で着るような服を着ていた。

あれ、約束したんじゃないっけ。
普段通りの服装で卒業式に出るって言ったよね。
呆然とした。

おそらく、友達は親御さんから式典にあった服装をするよう言われ、それに従わざるを得なかったのだと思う。
大人になった今は父が怒ったのも理解できるし、シーンに合わせた服装をすることはよく理解している。
(ある種、この出来事がきっかけで、場面に合わせて身なりを整えることは、ちゃんとできていると思う)

今日。
母校の小学校が卒業式を迎えた。
夕飯を実家で食べたのだが、その際に自分の卒業式の話を父とした。
父は私が帰宅しても泣いていた姿を見て、「服装の件で悲しかったのだろう」と思ったのだと言う。

いや、違う。違うんだけど。

私は小学校が楽しくて、とくに6年生がとてもとても楽しくて、卒業したくなかった。最後の学級会で、担任の先生が「別れの時が来た」という言葉を発した途端、涙が溢れた。学校を出ても、寂しくて泣いていた。分かれ難くて泣いていたのに、父には服装の件が悔しくて泣いていたと見えていた。

父にそのように見えたのは、父自身の苦い経験が背景にあるように思う。
父が中学生の頃は高度成長期で、中卒の働き手は「金の卵」と言われ、東京に働きに出る友達が多かったそうだ。
父の同級生が中学卒業後「金の卵」として上京することになった時、父は上京する同級生を応援しようと駅から見送ることを友達に呼びかけた。
友達は賛同したそうだ。
しかし、上京する日、賛同した友達は誰も駅に来なかった。

父は裏切られたと感じたらしい。
そんな過去の出来事から、私の卒業式の話を聞いた父は自分の経験を投影したのではないかと思う。

幾度となく泣いていた理由を父に説明するが、理解してもらえない。
悔しかったとか、裏切られたとか思って泣いていたわけではないというのに、「いや、そんな風にはいうが、違うはずだ」と言い張る。

私と父の経験が似通っていることで、父は娘も同様の感情を持っているという思い込みが生まれる。更に、娘が自分と同じように傷ついたのではないかという親の愛情から、その思い込みが強化されているように感じる。

しかし、経験から自分が感じたことは、その人のもの。
経験が似通っていても、感じることやその経験から受け取るものは違う。

そして、そこに良いも悪いも、きっとない。
その人がそう感じただけ。
自分の解釈は傍に置く。

今日の父との会話で、あらためてそう考えた。
娘に対しても、思い込まず、決めつけず、娘が感じた感情や思いを受け止める母になりたいと思った。

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