名前が存在を確立させる #2

「名前」いくつ持っていますか?
僕は5個くらい持ってしまっていて、自分というものを名前ごとに使い分けてしまっている。
多重人格とまではいかないにせよ、名前ごとにいくつかの「自分」が存在してしまっている。
増えすぎた「名前」

なぜ「名前」がいくつもあるのか?
それは僕の第一人称の使い方に問題があるからだ。
「名前」が存在を確立させるから、自分の「名前」は自己の存在を表し、第一人称は自己の存在を表す代名詞だ。その使い方が僕はおかしかった。

きっと、こどもの頃の親のしつけだ。
こどもの頃に第1人称を「僕」から「俺」へ変える時期があった。誰にでもあるようなことなので意識している人はいないだろう。「僕」と言っていた僕。小学校低学年だったと思うが、同級生が言っているのと同じように親の前で「俺」と言った僕。僕の「俺」を言葉遣いが悪いと言って叱った親。そして親の前で「俺」と言わなくなった僕。親の前以外では「俺」という僕。いつしか親はおろか親族の前では第1人称を使わずに会話をするようになったこどもの頃の僕は、親族の前と親族の前以外のふたつの世界で生きていくことになった。
まあ、典型的に親族の前ではお利口さん、それ以外はそれなりに悪い子に。

大人になった僕は親族の前以外の世界も「職場の人間関係」と「それ以外」に分割された。
職場の人とはプライベートな付き合いになりにくいので、まあ、うわべですね。だから「それ以外」のときの自分がリアルな自分だ。

親族の前でもなく、職場の人間関係から隔離された世界でしか生きれない、本当の自分。それすらも使い分けてしまってる。
この中の「名前」のひとつが「あまくて四角い円周率」。
これは、noteを書くためにリアルの世界で宣言してから産み出した自分なので、いちばん自分らしさが濃い。好きなものを好きと言い、衝動に素直に生きている自分。

あと2つ「名前」がある。
それぞれの「名前」に少しずつ違う自分が乗っかっている。

少なくとも本当の「名前」はひとつにしたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?