終戦記念日だった

8月15日、昔は家族全員が黙とうする日だった。

兄弟が大きくなり、それぞれに活動するようになってそういうのは少なくなったけれども、やはり小さいころの習慣というのは身についているのか、ああ、今年もこの日かと思う。実家は戦死者の影が色濃い家だった。

跡継ぎになるはずの祖父と、早世した曾祖母の次に嫁いできた、父が「おばあさん」とは呼んでいたけれども血のつながっていない後妻さんから生まれた二人の弟、全員が海外で戦死している。

一人は行方不明のまま。祖母が新聞の見開きいっぱいに掲載されていた、厚生省からのシベリア抑留者名簿をルーペで拡大しながら、指でたどっていたことを覚えている。でもその人はシベリアに行ったわけではない。中国にある川の渡河の最中に消息不明になったと聞いている。実際は病死したという話もあるが、真相は庸として知れず。遺骨の代わりには、出身大学の学帽が入っている。

お盆はその人たちが帰ってくる日だった。

おそらく曾祖父、曾祖母のいたころはさらにその気配は色濃く、食べさせたかったもの、好物だったもの、いろんな後悔が供物の形になり、お経のリズムになり、仏間に積みあがり、漂っていただろうと思う。

お盆の最後の日、魂を送るために、菓子箱にバランスよく供物を載せて川に流しに行く。なるべく長く浮いて進むように。振り返ってはいけないけれど、家に帰る道々、川沿いを覗き込むと、さっき父の手を離れた小さな船がゆっくりと流れに乗って下っていくのが見える。

河川のごみにつながってしまうため、舟を流すことはいつのまにかしなくなってしまったけれど、夏の暑い日の夕方、父親がわりだった曾祖父、甘く優しかっただろう曾祖母、記憶のあるうちに会うことのなかった自分の父親、少しだけ覚えている、その弟二人も乗る船を、見送る父のまなざしをふと思い出した。

今日は父も、祖母も、その船に乗って帰る日だ。

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