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やる気の玉突き

日常のなんてことない一コマというのは、ある日いきなり途絶えて忘れてしまって、思い出すことで成立する気がする。忘れてる限りなかったことになってしまう。

再会はだいたい突然である。永遠に再現できなくなった、祖母の手料理と同じ味にであったとき、子供のころはありふれていた香りをかいだ時、予想もできなかった喜びに胸が躍った時。

ああ、あのころ、普通にあったものと再会したのだなと思う。

ところでヘルシオのホットクックを買ったんですよ。

たまたま用事があって渋谷のビックカメラで電気鍋ゾーンを見学したとき、その取っ手の張りだし方もだが、あざやかな赤の存在感やまるいボディに「選挙事務所のダルマやないかい」と思い躊躇したのだが、クレジットカードの使用により蓄積されるマイルが、使うあてもないまま毎月消えていくのもなんなので何かに使わねば、となり、ホットクックが候補に挙がったのだ。

前々から書いている通り、私は本当に料理に対しやる気、勇気、元気を持てないのだが、子供の手前よくない、という強迫観念、および在宅の間にスキルを積まねば一生料理しないままではないか(それでもいいけど子供に対し負い目を感じたままなのではないか)という気持ちで、もともとひよわなやる気を奮い立たせて調べたところ、ホットクックにたどりついた。

勝間和代さんが書いた本を取り寄せて読んでみたが、「勝間さんはホットクックを3台持っている」ということ以外の情報を読み取れない程度の私が、この赤いだるま状のかしこいお鍋を使いこなせるのか……

さっきアマゾンさんが持ってきた段ボールは予想通りでかく、キッチンで存在感を放っている。

開封する前に、母からもらった圧力鍋で、まだ平成の時代に母が赤飯を作ってくれたのの残り、小豆をとりだして煮てみた。

ホットクックが届いたことにより、何かしらのやる気が起こったのだ。やる気の玉突き事故である。

そもそもうちは関西で商売をしていたせいか、祖母が毎月1日になると赤飯を炊いてくれた。私も赤飯が大好きで、そのため弁当の赤飯率は異常であった(普通のご家庭比)。

祖母の赤飯は、慣れない人からすると怖いくらい赤い色をしていた。逆に私は、スーパーや和菓子屋などで売っている赤飯の色は、わざと白くしているのだと思っていた。

だが、コンビニのおにぎりが味海苔でないのが、経費削減で味をつけていないわけでなく、普通にそういう海苔だということを知ったころ、お赤飯の赤さはうちが異常値だということを理解した。

なんならおのれのお食い初めのときから、鮮やかな赤い色が当たり前だと思って育ったものの、いつしか祖母がお赤飯を作らなくなり、そして亡くなり、あの色のお赤飯を見なくなって、お赤飯の色がやさしいピンク色でも違和感を感じなくなった今日この頃であったが……

重曹がその色のヒントだというのは知っている。さてこの重曹をどのくらいいれるのか。レシピはない。祖母はたぶん目分量で入れていただろう。母も姉もそのレシピを受け継がなかった。

実験は今日から始まるのだ……

ところでどのタイミングでホットクックを開封するのか。

いきなり実験に使ってしまって問題ないのか。

考えることはたくさんある。というか在宅で仕事してる途中なので、こんなことをしている場合ではない……

玉突きにつぐ玉突き事故だ。重曹を握りしめたままメールを書いているが、ひょっとしたらこの小豆は今回ぜんざいにメタモルフォーゼするかもしれない。

祖母の赤飯に再会する日は来るのか……

あの赤さが再現できたらまたレポートをすることにしたい。


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