2021年4Q(10~12月)を振り返る
10月
noteは怒涛の38記事。よくもこんだけ書けたもんである。
結婚相談所が女に苦労している
リプに書いた通りだが、専業主婦志向を持つ女は絶望的に何もできない、という不都合な現実を結婚相談所は知っている。
仕事ができない人間は家事も育児もできない。
残念ながら働けるということは社会適応性のバロメーターでもある。
そして12月にも再度触れることになる。
表現を規制したいわけじゃない、票が欲しい
これもツイート通り。
バブル崩壊後、経済的な再分配ができなくなったら、1990年代末から行政上の利権をコントロールして表稼ぎに走る政治家の姿が見られるようになる。
子どもとの向き合い方私論
リプ連投でご意見を賜る。
これを受けて書いたnote。
さらにお返事をいただく。
この議論を受けて「人間関係の一種としての上下関係のイメージが、支配〜被支配もしくは所有〜被所有の形しかイメージされない」という問題意識にたどり着くことになる。
こむら様には感謝を申し上げたい。
個人的な話
クレジットカードの不正利用が発覚して警察署に届け出に行った。
これはこれで貴重な経験となったが、面倒くさい話である。
11月
"人権とは誰の人権だ 言ってみろ"
これのバズり具合が、"人権"というものに対してネット民がイラついていることを如実に表している。
"財務省饅頭日誌"
始まりはこれだ。
元の資料の作者である山田昌弘氏の著書も読んでいた。
それも紹介した。
社会は良いとこ取りができない
この命題は定期的にリマインドしたい。
社会改良家が肝に銘じておくべき命題だからだ。
邪魔されないことの積み重ねでは自由は生まれない
自分の"感情的安全"の価値が爆上がりしているのではないか、そういう予感を感じさせられた。
その直感の傍証が、これだ↓
他人に迷惑をかける、他人から迷惑をかけられる、という"お互い様"が否定されている。
12月
表現の自由というサーカス、ロスジェネ救済というパン
古代ローマ時代の世相「権力者が"パン"と"サーカス"を無償で与えることで、ローマ市民を政治的盲目に置く」と変わらなくなってしまったのが、本邦の政治の現状である。
女よ、働け
結婚相談所も同じことを言う、というか受け売り。
フルタイムで働けている、仕事が続けられるということは、本邦では社会性の証明なのだ。
神田沙也加転落死
これには驚くしかなかったが、一つの時代の区切りもしくは終わりを感じた。
"萌え"が女子の教科書?
"萌え絵"有罪論の穴を指摘するツイートを見てふと思った。
もしかすると、本邦では、ある一定の世代から下の世代の女性~女児は、"萌え"を通じて女性性を再帰的に学習・獲得して育ったのではないか?
性そのものがタブーとなっている現実の前に、女性性の過剰な抑圧とその反動が起きているのではなかろうか?
岡田斗司夫氏が2010年に語った"ロリアニメ"が女性に与えた影響を語る動画。
言わんとしていることは理屈では理解できる。
これは再帰的な女性性の獲得・学習という事柄と関係している。
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