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"維新の会"が目指す"The politics for the rest of us"

先般の総選挙の結果分析に関して、白饅頭氏がこうも続けて書いてきたのを読むと、これらの記事には一つの流れがある。

今回は、そこを私なりに深堀してみたい。

イタさを回避する人間が"維新の会"現象を支えた

11/1の白饅頭noteはこう指摘する。

 維新の「市民感覚」の正体をひとことで表するのであれば「反権威」である。反体制とか反権力ではない。あくまで「反権威」である。
 ここでいう「権威」とは「偉そうにしているだけで、中身のない連中」と世間の人から認識され、うっすら嫌われている人びとのことを指している。コロナ禍においてそれはとりわけ「東京にいる自民党政府や役人たち」のことであった。維新の基調的なカラーである「反権威」がコロナ禍における「地元で頑張る維新・吉村 vs. 柔軟性のない対応で頑張りを無にする自民党政府」という構図にピタリとはまった。大阪における維新への熱烈な支持はこのとき決定的なものとなった。地元での選挙戦圧勝はその結果にすぎない。
 ちなみにSNSで維新は「文化や芸術に敬意を払わず、そうした施設を次々に廃止に追い込んでいる」としばしば指弾される。だが維新は文化や芸術には敬意を抱いている。かれらが嫌っているのは文化や芸術ではなくて文化人や芸術人である。文化や芸術を研究したり、それを紹介したりするような知識層・インテリ層のことが嫌いなのである。

そしてもう一つの重要な指摘がここだ。

 「物語性」とはすなわち、お茶の間に対していまの世の中で起こっていることの「わかりやすいストーリーを提示する能力」のことである。維新は他の政党とは比較にならないほど長けているのである。

学者を含むインテリ層は「全称命題なんて、ぶっちゃけあり得ない」と心得ているからこそ、「わかりやすいストーリー」の提示は躊躇する。ところが、それでは政治は動かない。

分かりやすい例を挙げよう。先般(2021年9月)に勃発した売買春論争で宮台真司氏が無双した一連のツイートを見て欲しい。

これが学者としての命題と条件に対する態度のスタンダードだし、自分もこういう見方をする。すなわち何事にも条件が付くことを弁え、そして例外もあり得るという態度で対象と向き合う。

こんなまどろっこしい思考をしていたら面倒くさいのは当たり前だろう。実社会では言わば細かな条件を無視した「言い切り」が重要なのだ。

これが"維新の会"の強みの一つ。もう一つは、インテリとは「知的な勝ち組」に他ならないことだ。"維新の会"のスタンスである

嫌っているのは文化や芸術ではなくて文化人や芸術人であり、文化や芸術を研究したり、それを紹介したりするような知識層・インテリ層のことが嫌い

という要素とピタリと一致する。それでは"維新の会"とその支持層が知識層・インテリ層が嫌いなように振る舞うのはなぜか?

それは知識層・インテリ層が"過剰"でイタいからではなかろうか?薀蓄競争が忌避されるように。

ざっと言ってしまえば、この過剰さへの忌避現象は、経済不況によって社会から余裕が失われた結果、ちょっとした贅沢へのバッシングのような叩きを回避する心の習慣からきている。

だから"イタさ"の回避現象の表れとして"維新の会"への支持の広がりが見られたのではなかろうか。

野党がイタい!

上の議論を繰り返すが、今回の総選挙は野党共闘で組んだ4党がイタかった結果、今回の獲得議席数が微妙に減ったと言える。野党がイタい理由は、米山隆一氏のツイートが一番分かりやすい。

そう、本来野党が突くべきポイントを突かずに理念先行で突っ走ったがために、共感を得られなかった。

表現規制問題でも共産党がしくじったが、戸定梨香騒動でのやらかしも含め狙いがおかしい。自民党がジェンダー問題に興味がないのはジジイの集団だからだ、と決めつけて自民党sageを狙ったものの、見事なまでの空振り、そう思える。

一番の問題は衣食住の保障であったはずだ。

野党はKY(空気嫁)

そして野党はKYでもある。

現代リベラルの一番の問題は、自分自身のリベラルさを支えるリソースに自覚がない。もっと言ってしまえば、非正規雇用者を中心として社会が空洞化しているのにもかかわらず、己の生活がそのような非正規雇用によって成り立っていることに対する問題意識が無い。そこの問題は以前に指摘した。

そして「リベラリズムは、リベラリズムによっては作り出せない前提に依存するが、その前提をリベラリズムの作動が壊す」。これは少子化という形で現実の問題となっている。

経済学で「負の外部性」と呼ばれる図式だが、リベラルが「自分自身のリベラルさを支えるリソースに自覚がない」以上、存続可能性は無いと言っても良いだろう。

政治のジェンダー平等のためのリソースはてめえらが準備しろ!という話である。

The politics for the rest of us

改めて今回の総選挙の結果を振り返ってみれば、こういう解釈ができるだろう。

そう、ジェンダーは本邦の現状を見れば「余裕のある人の趣味」(by米山隆一)なのだ。

まずは何よりも「生活」を争点に戦うべきなのだ。その意味でも、今回の総選挙は、何を言っているのか理解できないピンボケ野党に政権を任せられないという日本の有権者の総体としての判断が出たものだと思う。

我々に必要なのは"The politics for the rest of us"である。特定の政治的なアジェンダに興味も関心もないが、衣食住という日々の生活を担保する政治である。

例えて言えば、下の1980年代のAppleのCMで最初に出てくる分厚いマニュアルのPCが野党の主張だとすれば、我々に必要なのはシンプルで分かりやすい政策である。CMではシンプルで使いやすいMacintoshを"The computer for the rest of us"、すなわち凡人のためのコンピュータとして打ち出している。

その意味では"維新の会"が躍進した理由は"The politics for the rest of us"を志向しているから、とも言えるかもしれない。

2021/11/05 追記

大学生が自分の年金のことを心配しているのだから、いずれ↓のツイートが指摘する事態は起きるだろう。その時が、日本のリベラルの死刑宣告でもある。

個人的には、もうそうなっているのだろうと思う。911テロの後に、「自由って命あっての物種じゃん」と自由よりも安心への関心が高まったように、ジェンダーや気候変動よりも経済(という名の自分のパイの取り分)への関心が高まるのは当然と考える。

2005年頃だったか、朝日新聞の憲法記念日特集が"9条"ではなく"25条"(生存権)にフォーカスする時期があったと思う。格差社会という言葉が世間に膾炙し始めた時期であり、これは重大な変化だと感じた記憶がある。程なくして再び"9条"の話しか書かなくなってしまった。

あのまま"25条"や貧困問題に目を向けていれば、野党もKYにならずに住んだと思うが…

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