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「家事ヤロウ」の不都合な真実:実家編

家事分担を巡る不都合な話からスタートしたのだが、そこから「仕事ができなきゃ家事も育児もできない」と判定される現実や、家事ができないということが暗に示す問題等、話が広くなってしまった。

元々は、夫婦ともどもフルタイムの専門的な職業に就き、定年退職経て家にいるようになる状況が生む変化を、実家の両親を定点観測して思うこととして書こうという動機から、前座の導入として「家事」を巡る問題を書き始めたのであった。

正直、母親に関しては生活面の要領が悪くなり、特に時間にルーズになっている、という悪影響が見て取れる。

そして元々の執筆動機である家事分担の問題、先に自分の実家の場合を簡単に説明するとこうである。

平日は父親が朝6時前には職場に向けて出発して夕方は7時前に帰宅、母親が8時過ぎに出発して夕方は7~8時の間に帰宅、と父親の方が早めの時間帯に動き、母親が遅めの時間帯に動く。

この時間差と、父親が元々料理好きだったこともあり、平日の夕方は父親が夕食当番状態になる。実際は土休日も同じどころか昼食も父親が作っているのだが、この状態が祖母には「妻があまり家事をしていない」ように見えていたらしい。

更には自分も弟も実質「おばあちゃん子」だったことも要因としてあるし、土休日も職場に行って家を空けている割合も母親の方が高かった。父母会やPTAは父親の方が行く回数が多かった、というだけでも察しが付く。

父親は大学教員だったので、帰宅後は研究関連のことをやっているべき、という見方を祖母はしていたのかもしれないが、どうしても台所に立つ姿が目に付いてしまうので、このような話になる。

かくいう自分もほぼ固定で担当していた家事として風呂掃除があったのだが、家族それぞれに仕事の関係で生活時間がずれるがゆえに、隙間時間に家事を分担していた、というのが実態であった。

第一弾で紹介した話、姑が妻に「家事分担率が低い」と言うのは、妻目線から言えばマシな話で、妻の実母から「家事分担率が低い」と言われる方がキツイ、というのがポイントであった。

妻なんだから家事分担率が…という議論は、性別役割分業の肯定を通じた女性差別の肯定、と個人的に考える。

考えや感覚の古い上の世代が足を引っ張るというのは、こういうことなのだろう。

逆に「母親がこうだから…」というのは、時代の変化を見ていないことを白状しているとしか聞こえない。

そこのところも既にnoteで指摘した通りだ。

「人権はないけど"女"として扱ってもらえる」という"不都合な真実"に我慢できなくなった今、社会への"いいとこどり"や夫への"タダ乗り"が許されなくなったのはコインの表裏だ。

昨今の"フェミニスト"を名乗る女性活動家の主張が、一昔前の家父長制っぽいことに今時の権利もよこせ、という社会への"いいとこどり"や夫への"タダ乗り"を主張している背景もこれだろう。

これから貧困化していく社会で、その主張を信じる者は、誰からも相手にされず真っ先に没落していくのだろう。

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