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白饅頭氏は陰キャかつ強者である

はい、(マシュマロ主が)事実陳列罪↓

「いくら医療従事者の悪いところを晒しあげて正しさにのぼせあがってるとか言っても、今先生が同様に例の言動でのぼせ上がってると見做されてる」

というのは白饅頭氏の芸風なので、そこは割り引くとして。

以降のやり取りについて丹羽薫ちゃん氏のコラムが流れてきたのだが、これも違和感を感じずにはいられなかった。

必要なのは反省ではない、応答である

このコロナ禍中の医者の発言や態度に関して、自分が大学生のころから購読している「科学・政策と社会ニュースクリップ」というblogの最近の記事で、全く同じ指摘があった。

新型コロナと行動制限~公衆衛生倫理から考える(前編) - 鈴木 基|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
https://webronza.asahi.com/science/articles/2022082200002.html

 新型コロナ対策については、利益を受ける人と不利益を被る人のバランス、倫理が問題となっており、それが「高齢者を守って若い人の生活や命を奪った」という声として聞かれます。

 その一部は医師と高齢者への憎悪となっており、SNS上では「姥捨山」の容認、医師を困らせるためにリスクの高い行動をあえてするといった読んでいて苦しくなるような言葉が飛び交っています。

 公衆衛生における倫理は、医療倫理とも違う問題をかかえているという点はその通りだと思います。

 SNS上で強い言葉で人々のリスクの高い行動を罵る医師の存在は、火に油を注いでいるように思います。そう言う人たちはハイリスクな現場にいるわけではないことが多いので、その発言の責を受ける人が異なるという状況のように思います。

 規範を語ることの責任の重さ、政府が責任を徹底して負わず、自粛要請中心の政策を行っていること、なし崩し的な政策の変更、政治の医療体制の脆弱さ(小病院の乱立)など、さまざまな課題を抱えたまま、時は過ぎてきいます。

 ハイリスクな高齢者などの死は許容しても社会を回していくという方向はありえるし、そういう選択を国民や国がしたのなら、医療はそれに従うしかありませんが、その死生観の変更、政策の変更が明示されず、空気で動くというところが、日本らしいということなのでしょうか。

 しかし早い安いうまいは両立しないというのが、医療における「オレゴンルール」です。

 早いを捨てることで亡くなる人が増えることを家族が許容できない場合も出てくるでしょう。となると、訴訟リスクに現場は頭を抱えることになるようにも思います。

おおよそ白饅頭氏が2020年の春から指摘してきた通りのことなので、このこと自体はコメントは不要だろう。

実は当該ブログのブログ主の本業は病理医。
そう医療業界の片隅に身を置く人間なのだ。

2022年に入ってから、これまでの在り方等々に疑問を持ち始めた人々が増えてきたのは、ある意味正しい。

こういう人たちに共通するのは、理系の素養があること。
データや事実をベースに物事を語る、世間的には"不愉快"な物言いをする傾向のある人種である。

この2年で、色々な事実が分かってきたし、統計データの母数が大きくなってきたから、それなりの精度で客観的にモノが言えるまでには、材料が揃ってきた。
だからこそ「主張が変わった」ように見えるのである。

データや事実をベースに物事を語れない人は、そのような物言いを"事実陳列罪"と呼ぶわけだが。

合理主義的に考えれば、2年前の春のやり方を続ける理由が無いからこそ「変える」動機がある。
「変える理由」の説明が無いから、あれこれ煩いのが湧いて出てくる。

確かに、この2年間の新型コロナウイルスによるパンデミックでは、死人は大量に出ているし、ロックダウン政策による経済的困窮者はそれ以上に出ている。

今から思えば、日本政府の政策ミスは大小問わず色々あるだろう。
そんな中、大した問題が起きていないように見えてしまうのは、日本国民の「ボトムアップの努力」のハイパフォーマンスが意図せずして、政府の「政治的無策の責任」の発生を毎度毎度うまく回避させてきてしまったからである、と白饅頭氏は指摘する。

いわば、国民のファインプレーが政治を助けてしまっている、という指摘だ。

これは、謝罪によって物事が済むという幼稚な考え方の裏返しであり、その背後には有限責任と無限責任の区別がない上に、責任と言えば無限責任、という日本人の境界意識がある。

永久に責任を取り続けることによる信頼の醸成、という考え方は日本人にはなじみがない。
これは第二次世界大戦後のドイツが、戦後処理や外交にあたって使用している戦略である。

また、この問題の構造は今の政治にも通じるものがあるとし、「実際に、ドイツはあれだけひどいことをやっておきながらEUの盟主になった。ドイツの大統領は就任演説で必ず、“ドイツ国民は重い歴史を背負っているから責任を果たさなければいけない”と言い続けている。これも先ほどの“お祭りで忘れる問題”と同じ。レスポンシビリティ(責任)とはもともと、コールされてレスポンスするという宗教の言葉だ。“あれだけひどいことをして何をやっているんだ”とコールされ、“私は今こういうことをしている”とレスポンスする。あるいは、困っている人がいることがコールされている状態で、思わず体が動いてレスポンスする。今日本で、コロナで困っている人がたくさんいるが、政治家はコールにレスポンスしているか。していないだろう。小山田問題と同じものがそこにあるわけだ。あるいは忘却して責任をとらないという態度は、お祭りにも一貫している」と続けた。

このコール&レスポンスの不在という図式は、元首相狙撃事件の容疑者の動機にも見え隠れするのだが、それはまた後日。

白饅頭氏は反現状という意味で陰キャである

以前にこういう図式を提示したことがある。

陽キャ ⇔ 陰キャ
勝ち組 ⇔ 負け組
強者 ⇔ 弱者
多数派 ⇔ 少数派
 支配者 ⇔ 被支配者
加害者 ⇔ 被害者

他人を見る時に上のような二分法で"値踏み"していないだろうか。

さて、件の白饅頭氏は、過去に以下の記事でこう指摘している。

そしてもう一点重大なのは、若者たちにとって「批判」の捉え方が、一般的な理解とはまったく違うということだ。

一方、若者たちはそうは考えない。「批判ばっかりする奴はウザい」などと考えている。
これは政治に限った話ではない。そもそも、「なにかを懸命に頑張って取り組んでいる人」に対して、やたらに批判的な言動をとる人は、「足を引っ張る人」「文句ばかり言う人」「和を乱す人」――つまり、いわゆる「陰キャ」なのである。
「偉い人」なのに「かわいくて」「親しみやすい」安倍総理を、しばしば口汚く攻撃する野党や知識人・文化人たちは、彼らにはみな「陰キャ」で「かわいくない」ものとして映っている。

そして2017年の都議選で、応援演説に入った国会議員が「『批判なき選挙、批判なき政治』を目指して、子どもたちに堂々と胸を張って見せられるような選挙応援をします」とツイートしたことを引用して、こうも指摘する。

今井議員が発した「批判のない政治」というのは、この発言に憤りを覚えた人びとが考えたような「(安倍)独裁政治を擁護する」ニュアンスの言葉ではない。「やることなすことにいちいち批判したり文句言ったりしてくるような陰キャが湧いてこないスタイルでやっていくんでよろしく!」といった意味合いの言明だったのだ。
若者たちにとって、「批判」とは建設的で価値中立的な営みではない。攻撃性や陰湿さといった、ネガティブなニュアンスをともなうワードなのである。
若者たちの視点からは、安倍総理は他人の批判をせず、粛々と政策を実行する側であり(政権与党のトップなのだから当然そうなるのだが)、野党はそれにゴチャゴチャと外野から「批判」をぶつける人びととして観測される。若者にとってどちらが「自分たちに親しい側の人間」に見えるかは、想像に難くない(例外的に都市部の高学歴層の若者では、立憲民主党などのリベラル政党を支持する割合が多いといわれる。それでも総じて、18〜29歳の立憲民主党支持率は他の年代と比べて低い*6)。

「かわいいおじさん」こと安倍晋三が若者たちから人気を博しているのを「若者が右傾化している! ネトウヨ化している!」などと分析している人びとは、まったくわかっていない。そのような「批判」にこそ若者はウンザリしているのだ。
社会を懸命に前に進めようとしている人は、若者たちからすれば「どちらかといえば仲間」である。ゆえに、それを横から「批判」ばかりしている人びとは「どちらかといえば敵」であり、「陰キャ」であり、あるいは「新しい取り組みを邪魔しようとする保守」に見えてしまうのである。
ここで重要なのは、政策や言動をよく見れば実際は自民党が保守であって、野党がリベラルなのだ、勉強すればそれがわかるはずだ、という政治思想の筋論ではない。あくまで、口うるさく「批判」をしているのは、若者たちの目からはだれであるように見えるか――ということである。

本文中の見出しには「社会の風紀委員」への反感という表現もある。

ここまで長々と引用してきて言いたかったのは、白饅頭氏は"世の中"の"主流派"とは異なる見方を提示するという意味で、現状に批判的なスタンスであり、上掲記事の基準で言えば"陰キャ"だろう。

しかしながら、そんな"陰キャ"な白饅頭氏とて"陰キャ"の相手はしたくない、というのが冒頭のマシュマロから伺える。

これを強者しぐさと言わずして何と言おう(笑)

良い具合に立場が割れてきているように思えるし、そこに一貫性を求めるのも酷なので、私の疑問というコールにレスポンスしていただきましょうかね、とも思うわけである。

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