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社会人になって実家に呼び戻されるということ

実は私の実家は東京都世田谷区内の多摩川沿いの、狛江市寄りの土地にある。鉄道駅で言うと小田急線・成城学園前と東急線・二子玉川の間の成城学園前寄りといったあたりだ。

社会人2年目に転勤で名古屋に行って5年半、名古屋から戻ってきて新職場が横浜市内だというので、一時的に世田谷区内の実家から通った後に、実家と職場の中間あたりにアパートを借りて平日はそこで寝泊まりする生活を7年過ごした。

そして迎えた2020年の春、世界的な大事件をきっかけに私の生活も影響を受けたのであった。

出戻りのきっかけはコロナ禍

2020年頭からのコロナ禍の影響により、私の勤務先も2020年4月からテレワーク体制に突入、今の所2021年9月頭までは継続が決定している。

このコロナ禍は生活面でも影響が大きく、2020年のGW直前に、職場と実家の間に借りていたアパートを引き払って実家に戻ることとなった。

そもそもアパートを借りていた事情は先述の通りだ( https://note.com/yajiumafighter/n/n4b7a617e61ff#EnWQX )。

出勤しなくて良くなったというだけで出戻りを判断するには材料が弱い。ここにもう一つの事情が重なったのがポイントである。

アパートを借りていた事情の記事にある通り、私の両親は共働きである。実は父親の定年が2020年3月、母親の定年が1年遅れの2021年3月なのである。

そして父親に関してはもう一つの材料があった。それは定年まであと少しというタイミングで、自己免疫疾患であることが発覚し、2019年秋から療養に入っていたのである。

この状態で父親が一人で実家に居るのはマズイので、在宅勤務の合間に見ておいてくれ、というのが母親からの話であった。

実際は、父親はそこそこ動ける状態であったし、元から毎日の夕食は父親が作っていたくらいなので、実際のところは3食付きの状態になるくらいの変化でしかなかったように感じられた。

今回は幸か不幸か「単に見張っておいてくれ」という話であると同時に、出戻り前から力仕事の手伝いのために帰っていたことが多かったので、移動の手間がかからなくなっただけ、という状態になる、というのが当初の印象であった。

しかしながら、両親の生活サイクルを個別に見ていくというのは、存外に重要な気付きと学びのあることだ、ということに程なくして気付く。

普通に両親が出勤していた頃というのは、父親が朝6時に家を出て、母親が8時を過ぎたタイミングで出勤、帰りは父親がが早くて6時ごろ帰宅、母親が7時から8時頃に帰宅、というのが平日のサイクルであった。

両親ともに大学教員だが、勤務地が違う上に工学部と薬学部という違いもあって、授業や行事のサイクルが全く違う。

そういうこともあり、生活リズムやサイクルがズレているのであった。

出戻ってきた時点では、父親は定年退職後、母親がまだ定年前だったが、コロナ禍もあって両親ともに実家に居る状態になっていた。

既に定年後の生活サイクルが始まっていたに等しい。

実家暮らしへの"逆戻り"

社会人になって親元に居るということは、一見するとマイナス材料かもしれない。

よく言われるのが、家事能力がどうのこうの、という話である。一人暮らし経験年数はのべ10年を超えているが、そういう状態で実家に戻るというのは、単なる金策の行き詰まりか、離婚、あとは介護あたりが世間によくある話である。

自分の場合は通算12年半も実家の外に出ていたところを呼び戻される形なので、何が困るかというと生活リズムの違いもさることながら、家庭内ローカルルールの違いで困るのである。

一人暮らしだと家事を減らす観点で、やることを減らす、やらないことを決めるという工夫があるのだが、家族になるとどうしても増える事柄が多い。

色々と面倒なことがある中で環境に合わせていかないといけないのである。厄介なのは決定権がこちらにないので、実質母親の言い分に合わせないといけない。

そういう力関係は親子だからという事情の一言で片づけられてしまうのだが。

結局は見よう見まねで自分を慣らしつつ、落ち穂拾い的に細々とした家事を拾っていくというスタイルになる。当面の居候生活はそうするしかない。

大人になって両親を観察するということ

よくよく考えてみると親はあくまで親なのであって…という感覚が強かったのだが、出戻り前から婚活を続けていたこともあり、改めて夫婦ってどんなもの?という目で見る感覚が出てきた。

しかし、ウチの両親は特殊なところがあるよなぁ…と思うところもあるわけで、そう素直な話にならないのが実家らしい。

相談して決めているわけでもなく、役割分担やら生活サイクルの時間やらが自然と固定されていて、イレギュラーがあると都度ずらすという感じで家事も含めて生活が回っている。

これは先述の通り、独特の出勤サイクルのズレが夫婦間の家事分担を決定している要因だからで、これが仮に夫婦揃って同じ時間帯に動いていたらどうなるのか?と疑問に思うのも不思議ではない。

面白いことに2016年春から母親の勤務先が変わって、そこから3年半ほど、父親が動けなくなるまでの間、行きも帰りも父のマイカー通勤に母が便乗するという期間があった。

話を聞いていると、夕方に帰宅すると父親がそそくさと夕食の準備をしていたらしい。一度出来上がった分担は変わらないようだ。ある種の習慣のようなものだろう。

子の目線で思うこと

既に両親は定年後の退職生活に入っているわけで、定年後はこうなる、という見本の一つを日々見せつけられているようなものである。

頼むから余計な問題は起こさないでくれ、というのがせめてもの子からのリクエストである。

父親の神経障害、ある程度は回復してきたとは言え、相変わらず自転車には乗れないし、コロナ禍もあって外出も気楽にはできないところだ。

そんな中、父親の手が回らない部分を肩代わりさせられている状況が続いていると、母親がこの状態に依存し始めるわけで、それが将来マイナスになるのではないかという不安が頭をよぎる。

それで良いのか?

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