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2021/10/6 白饅頭日誌:10月6日「『らしさ』の果実」への長文コメント

※500文字でツッコミが終わらないので記事にしました。

あのマシュマロの送り主には共同体存続規範が無い

まずは元のマシュマロを全文引用する。

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白饅頭氏の指摘で一番のポイントと考える箇所はここだ。

あなたは、世の男性たちが「男らしさ(≒男性の規範)」を遵守していることによって、あなた自身が得ているさまざまな恩恵について、まったくといってよいほど気づいていないということです。
それらが「規範」によって、世の男性たちに多かれ少なかれ社会的に命じられているものではなく、当たり前に存在していることだと思い込んでしまっていたため、あなたにとって「男らしさ」は「なんのメリットもない、さっさと捨て去るべきもの」のようにしか思えなかったのです。

抽象的な言い方をすれば、生活世界から共同体や制度、システム、その他諸々が所与の前提である、とマシュマロの送り主が勘違いしている点を指摘している。

言い換えると、マシュマロの送り主には共同体存続規範が存在しない、とも言える。便益の享受は気にするけれども、それを支える共同体もしくは社会システムの維持には興味は無い、という姿勢。

これはローレンス・レッシグが著書「コモンズ」で指摘した問題点そのものだ。

そして社会は良いとこ取りできない。この命題の部分系が以下の白饅頭氏の指摘である。

 男らしさから降りた男性は、あなたにやさしい声もかけないし、人として対等に尊重もしないし、女性だからといって特別な配慮もしません。くよくよと泣き言を言って依存するし、レディーファーストのエスコートもしないし、力仕事も手伝わないし、気の利いたこともいわないし、奢ってもくれません。せいぜい、性欲のはけ口にはするかもしれませんが、その程度です。
 ――これが「男らしさの規範」から解放された男性の姿になります。とてもではないですが、あなたが愛せるような姿をしてはいないと思います。それは男性とてわかっています。

現在執筆中のnoteで取り上げるが、精子と養育費は欲しいが家に帰ってくるな!と夫に言い放つ妻の問題にそっくりでもある。

社会システムにタダ乗りしつつ、そのシステムの維持には興味が無い、という姿勢の人間が増えすぎてある閾値を超えると、システムは維持できなくなる。

「リベラリズムは、リベラリズムによっては作り出せない前提に依存するが、その前提をリベラリズムの作動が壊す」のだ。

ひ弱すぎる女

上の「男らしさ」の鏡写しのような、不快感に対する耐性が弱すぎる話も紹介しよう。

柴田英里女史は田房永子女子を「自己評価が低い」と評しているが、もっと言ってしまうと自己システムのホメオスタシス維持という意味でのノイズ耐性が低い。

上のマシュマロの送り主も同じくノイズ耐性が低そうだ。文章を見ていると、交際相手のある点が気に入らないのだろう。欲しいものしか要らないという姿勢を感じる。

結局のところ、己の弱さを他人の振る舞いのせいに責任転嫁しているだけ。対等な相手に「権力側に変更のインセンティブを与える」という考え方や「問題の責任を相手に移す」戦術は、自らの立場も価値も下げる。

だから強く当たられてしまう(=「男らしさ」の発露!)。

個人的な話だが、私の祖母や母親、叔母は、恐らくこういう構造を知っているがゆえに「引き受ける」強さで社会で戦うと腹をくくって生きてきたのではなかろうか。

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