見出し画像

勘違いしないで。友達いたって仲が良くたって、そこにいじめはある。

オシエルズの矢島です。

僕は小学校低学年からどんどん太り始めて、4年生のころにピークを迎え、それが原因でいじめられていました。

でも、友達がいなかったわけではありません。同窓会にも行きますし、仲の良かった友達もいっぱいいます。

たいていの人が「いじめは友達がいない、または少ない人が経験するものだ」と勘違いしています。

しかし、友達がいたって、いじめはあります。友達だから何も言わずに我慢している「いじり」って、それはもう「いじめ」なんじゃないですか?

その当時、勇気を出せなかっただけで、本当は嫌な思いをして、でも友達を失いたくないからヘラヘラして、それがトラウマで今も夢に出てくる人なんていっぱいいます。

僕も太っていることを笑い者にされたくなかったし、太っていることをいじられて「おいしい」と思えるようになったのも、太っていることが武器なんだって思えるようになったのも、ボキャブラ天国でX-GUNの西尾さんを見てからです。

「笑いの世界では、すべてのコンプレックスが光輝く個性になる」と分かってから、ずいぶんいじられるのが楽になりましたが、それでも全部楽になったわけではなく、相変わらず「デブいじり」は不快なものでした。

僕はこういうのを「潜在的いじめ」と呼ぶことにしています。そして、僕自身も当時のことが夢に出て、冷や汗びっしょりで起きることがあります。

逆に、僕も学生時代、優しくて何も言わなかっただけで、誰かに「潜在的いじめ」をしていたんだと思います。僕も誰かの加害者なんじゃないかと思ってます。その被害者にしてしまったであろう、心当たりのある人も何人かいます。

僕も絶対に誰かを傷つけて生きてきました。

僕は、壮絶ないじめだけがメディアでフィーチャーされて、それ以外のものが、さも「いじめ」ではないように勘違いされてしまう現状がたまらなくイヤです。

メディアで取り上げられなくても、どこにだって「潜在的いじめ」があって、それをいじめだと思わないように、いじめられている側も自分で自分を騙しながら生きているんです。

そして、それにすら疲れた時、急にプツンと糸が切れたように学校へ行きたくなくなる。「あいつ、友達も多かったのに、なんで?」ってなる。周りも、下手すれば自分もいじめのタネに気づかず、「潜在的いじめ」のダメージが蓄積した結果です。

この「潜在的いじめ」で誰かを傷つけないように、そして自分自身が気づけるように、僕はお笑い芸人として講演活動をしています。

僕は友達に恵まれていました。
しかし、そこに確実にいじめはありました。
そして僕もまた、誰かをいじめていたと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?