見出し画像

なぜ「人の3倍努力する」必要があるのか〜1億総主人公論〜

オシエルズの矢島です。

よく成功するには「人の3倍努力しよう」と言われたりします。何で人の3倍なんでしょう?

人並みに努力したら成功するんじゃないでしょうか?いや、努力が必ず成功を生み出すのは限らないですよね。だったらすべてのアスリートはメダルをもらってるはずだし、すべてのアーティストはみんなミリオンヒットです。

これは、努力が必ず成功に直結しない、という意味だけでなく、努力の仕方を間違えるとうまくいかない、という意味でもあると思います。

でも、みんな人並みの努力で成功したいと思ってますよね?できれば労せず、それなりの努力で結果が出ればいいと願っている人の方が多いはずです。

ストイックな人と、ズボラで効率的にいきたい人の割合が、全人口でどんな感じかは僕には分かりません。僕は完全に後者です。全くストイックではありません。できれば要領よく成功したいです。

完全な僕の持論ですけど、努力の仕方さえ間違ってなければ、本当は成功するはずなんです。僕の場合、TVで売れるというメインストリームの努力は自分に向いてないと判断し、努力するベクトルを教育に向けて、現状、何とか生活できるようになりました。まだ成功といえるレベルじゃないですけど。

何が言いたいのかというと、「人の3倍努力する」は「人の3分の1の労力で努力の仕方を間違えない」と、結局同じじゃないか、ということです。

この考え方が正しいとしたら、無駄な努力、要領の悪い何らかの積み重ねは、燃費の悪い車に乗ってるのと一緒だということになります。

また、別の観点で、大体の人が「自分が主人公」だと思って人生を歩みたいと思っています。人と自分を比べて優越感に浸りたいなんて気持ちは、自分が主人公だと思わなければ沸かない感情です。

今やSNSが成熟しきって、一億総表現者の時代になりました。みんながみんな、自分を主人公にして、いろんなことを主張できるようになった。

人生の主役は自分自身、こういう考え方は決して悪くないと思います。別に脇役でひっそり生きる必要もないし、それぞれが、かけがえのない自分らしい人生を送ればいいとは思います。

しかし、その人生のドラマの主人公を演じている中で、努力している自分に酔いしれちゃう時がある。「うわー努力してるなぁ自分」って、自分に酔っちゃうんです。たとえ、それが「努力している風」だったとしてもです。

そこに成功か失敗かは関係なくて、あの頃の自分、努力してたなぁって、自分が自分を肯定できれば問題ないわけです。

その繰り返しで、目標達成できなかった時は、自分が目指すゴールを下方修正して、最初っからそれが自分のゴールであったように振る舞い、自分は主人公だと思い込んで、これまでを正当化しようとする。

まぁ、それで自分が納得できれば、もはや何も言うまいって感じですが、「本当にそれでよかったのか?」とは思います。いや、これは僕にも当てはまる話です。それを相手に問いただすことも、野暮ったくなるから、ほとんどの人はしませんが。

色々書き散らかしてますが、結局のところ僕は、「人の3倍努力する」ことができないなら、次の4点が重要だと考えています。

・労力を3分の1にする。
・努力の仕方を間違えない。
・自分が主人公だと思いすぎない。
・謙虚に結果を受け止めて分析する。

自分が自分らしい人生を歩むという「1億総主人公時代」において、この観点は大事なんじゃないかと思ってまとめてみました。

僕もこのポリシーにしたがって、これからも活動に取り組んでいきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?