遠くにいる人に会うことを後回しにしない~おじいちゃんとの思い出~

最近よく夢に出てくるおじいちゃん。
他界して5年は経つのだろうか。

月日は経ってもいまだにおじいちゃんの声と
手の感触は記憶に刻まれている。

人間はいつ死んでもおかしくない。
明日死んで後悔しないためにできること。
「会いたい人には会いに行く」

それは母方の祖父のことだ。
愛知に住むおじいちゃんは数年前に他界した。

おじいちゃんは幼少期から3姉妹の中でも
わたしを一番かわいがってくれていた。
(わたしは3姉妹の長女)

「マサコは〇〇(母の名前)に似て本当に
かわいいわ」とよく言われた。
(一人娘の母にわたしが3姉妹の中で最も似ていた)

自分が認められてる・好かれてることを
言葉にしてくれて、ダイレクトに愛情を伝えて
くれた。実家に住んでいたころは、頻繁に
祖父母の家に泊まりに行っていた。

おじいちゃんと一緒にお風呂に入り
おじいちゃんのふとんで一緒に寝たり
おじいちゃんの部屋で趣味の写経や絵画を
見せてもらったり
おじいちゃんと2人で近所の公園へ手をつないで
散歩に行ったりした。

小学校の冬休みの宿題、凧あげ用の
凧の絵まで描いてもらった。

夏に泊まりにいくと必ず戦争体験の話も
聞いたかな。

子どものころのそんな記憶は30年以上経った
今も鮮明に残っている。

おじいちゃんと手をつないだその感触も
思い出せる。

わたしが大学生になり関東に上京してからは、
愛知に帰省するタイミングで年に2回夏と
正月に顔を出すくらいになった。

わたしが30代後半になっておじいちゃんは
脳の病気になり、それをきっかけに体も
あまり動かなくなった。

年齢とともに認知症も進み、顔を合わせる頻度が
少なくなったわたしのことも忘れるようになった。

LINEで母からおじいちゃんの状態を聞いても「どんな状態か」実感がわかず、なんとなく
次のタイミングで顔を出せばいいかな。
くらいにしか思っていなくて

【いつかは会えなくなる】という感覚があまり
無かったのかもしれない。

「施設に入ったよ」という報告をもらってから、
会うたびにおじいちゃんは少しずつ体が
小さくなっていった。

わたしに関する記憶がほとんど無くなり、
会うたびに自己紹介をした。

「あんなに仲良くしていたのにかわいがって
もらったのに、年齢を重ねて会う回数が少なくなるとこんな風に変わるんだ」というショックと

「もっと顔を合わせておけば良かった」という
後悔の気持ちでいっぱいになった事を覚えている。

おじいちゃんと最後に会って会話をしたのは
やはり施設の中だった。

車いすに乗ったおじいちゃんと別れるとき
なぜか最後に握手をした。

わたしから手を出したのだ。

今思うとわたしは何か予感をしていたのかも
しれない。

「またね。おじいちゃん。また来るね。元気でね。」

また来る。また会いたい。と心の中で強く
願っていた。

手に触れたせいなのか、おじいちゃんの顔が
ぱっと明るくなり、一瞬昔の表情を取り戻した
気がした。

そして体こそ小さくなったけど、おじいちゃんの
手は昔つないだ手の感触と変わっていなかった。

でもその「また来るね」は訪れなかった。

おじいちゃんの葬儀のあと、帰りの新幹線で
しばらく記憶に残る思い出にふけったり、
じっと手を見つめていた。

「もっと会っておけば良かったな」と思いながら。

大切な人との別れは、早かれ遅かれいずれ訪れる。

その意識が薄いと、「日常のいろいろ」に流されてつい後回しにしてしまう。

会いたい人には会っておこう。

後悔しないように。

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