見出し画像

見入ってしまった谷川俊太郎さんの記事 ほんとにやりたくないの?ターザン


通販冊子の片隅にあった、谷川俊太郎さんのインタビュー記事。
「あっ!あっ!やっぱりそうですよね!」とスタンディングオベーションしたい気持ちになったんです。
以下抜粋。

どんな大人の中にも”子ども”がいるんですよ。でも、大人になると『幼稚な部分は見せちゃダメだ』って、みんな自己規制してしまう。僕も若いころはそうだったけれど、だんだん”自分のなかにいる子ども”が自分のいちばん大切な部分だと思うようになりました。

パルシステムカタログ記事より


見入ってしまった。
長年の疑問に、答えてもらえたような気がした。

公園のターザン、空いていれば私はやるが、子どもは「ママは恥ずかしいからやめて」と言う。だから最近はできない。どうせ誰も見ちゃいないのに。

本当は、私以外の大人だって思いっきり助走つけてターザンやりたいでしょう?
砂場があれば美しい泥団子を極めたいし、新雪には倒れこみたいでしょう?
でも、やらない。子どもがやるのを「見守る」をやる。
え、一緒にやればよくない?
あの「見守る」は大人の証なの?やるとみっともない的な何かなの?
そんなの、あんまりやる大人がいないからってだけじゃない?

だから、やろうよ~。
自分のなかにいる子ども、いちばん大切にしようよ~。

”大人も楽しむ”が普通になれば、うちの子も私に「恥ずかしいからやめて」なんて言わなくなる。
さらには、大人が一緒に楽しんでいる方が、子どもも楽しいと思うのだ。


そして、「自分の言葉をもつためには」という問いに対して谷川さんは、

たとえ幼稚な言葉でも、身体の根幹から出てくる自分の言葉をもつことが大事だと思うんです。その言葉を受け取るのは”人”ですから。自分の言葉をもつにはどうすればいいのかって?
それは、真面目に、真剣に、正直に生きることですよ

これは、自分のなかから出てくる声にきちんと耳を傾けて、正直にそれを実行していくってことですよね。

砂場には飛び込む。
新雪には倒れる。
ターザンでシャーッと行って、ドーンとなる。

そうしてみんなで、自分の言葉をもとうじゃありませんか。





あ、ほんとにやりたくない?
やりたくないという声に正直である必要は・・・あるわな。
みんないつから、ああいうの楽しくなくなるのだろう。
逆に、なぜ私はいつまでも楽しいのだろう。

~49歳目前の初夏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?