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足りないのはポップコーン成分

「インドに行っててね」と言うと

「自分探し?」とちょいちょい言われるのですが

どっちかというと「自分これでいいんか?」

と、もはや慢性的期でした。

「行きたい・行ける・行こう!」で決めた日光東照宮、

ではなくブッダガヤガヤ。

今思い返して、もったいなかったなと思うのが

ブッダガヤの空港に降り立った時、感覚を閉じてしまったこと。

インドという地に来たことに特別感を与えたくなくて、

なんならデジャヴな記憶まで創り出して、「わたしはここに来るべきだったんだ」などと思っているような気になりたくなかった。

謎プライド。

でも逆にいうと、

「感覚を研ぎ澄ましてみたのに、何も感じなかった自分」に幻滅したくなかったんだな。

いまならわかる。 

わたしには

転ばないとして、痛いことは踏まえているからわたしは平気。と、どこかかわしている部分がある。

あるんだな。


痛い!何くそ!系ではないのも知ってる。

転んだら 哀しい

毛布にもぐってうずくまるのは脅威 


そんな思い込み考えすぎチキンな劇場を繰り返し生きてきたなぁと

思う昨今なのだけれど

それに気づくことができただけも

今の時点でのわたしの収穫。


※ポップコーン:とうもろこしからできた

エアーな食べ物。映画のお供。テーマパークのおたのしみ。 

マクロビ的に、妖精にかたむきすぎてる(?)もとい、

陽性に傾きすぎてるときに、はちゃける要素が必要とて食べるといいよと教わりました。

でもわたしはあまり好きではありませんー。実は。




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