餃子のやーまん

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【古代中国編】やーまんの餃子歴史研究第一弾

【目次】. 🥟はじめに 🥟第1餃 餃子の先史・歴史   ・餃子の歴史年表   ・餃子の先史   ・餃子の歴史 🥟第二餃 "餃子“という名前の発生   ・"餃"の字の成り立ちと意味 ・角子から餃子へ 🥟第三餃 やーまん的な考察あれこれ 🥟おわりに 🥟参考文献 🥟〜🥟〜🥟〜🥟〜🥟〜🥟〜🥟 🥟はじめに🥟 「餃子とは、何か?」誰でも一度は考えてしまうこの疑問。餃子になり、早3年。私やーまんも何度もその問いとぶつかってきた。餃子を作りながら、己の心の餃子と何度も語りあ

    • えごまとレンコンの豚バラ餃子🥟2年間のスランプの原因がわかった話

      長かった。まずこの1ヶ月。本当に地獄のように長かった。 どうしても餃子に向き合えなくて、もうこのまま餃子を作れないんじゃないかと毎日怖くてたまらなかった。 でも、やっぱり餃子がとなりにいてくれた。そう、餃子がいたのだ、私には。(親や友だちにも感謝している) また恋をして、絶望したい。その度に私は強い餃子になる気がするのだ。 そしてこの2年。長かった。私はこの2年、ずーっとずーっとスランプであった、 シェアハウスに住みはじめ、徐々に自分の作りたい餃子がなんなのかわからなく

      • すき焼き餃子🥟衝動と餃子

        頭と心と身体がなかなか一致してくれない日々を送っているわけで。 そんなときって、王道の研究餃子になかなか取りかかれない。腰が重くなるというか、そもそも理想の餃子、みたいなものかぼやけちゃうとそれが出来なくなる。 結構餃子づくりは精神と体力の勝負みがあるので、クソメンタルな時はやはり無理なのでよね。 かといって、わたしは餃子をつくらないと実質死んだも同然になってしまうわけで。それにとても作りたいは作りたいわけで。 ということでしばしひたすらに自分が楽しいと思う餃子を作り

        • エイプリルフールが終わった餃子🥟はじまりはおわりのはじまり

          花束みたいな恋をした、という映画を先日みた。今日はそんな話。見たことある人いるだろうか?

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        【古代中国編】やーまんの餃子歴史研究第一弾

          デトックス餃子〜抜き差し調和編〜🥟インスタントな救済などクソ喰らえ

          ちょっと生き急いだ、という感じの今日の餃子であった。 というか、最後の最後でわたしが生き急いだような気もする。 デトックスに特化できなかった。やはり、そこをやり尽くさないと入れる、というのは絶妙に難しい気がするのだ。 それでも、今日の餃子はおいしかった(水餃子は) また明日もきっとデトックス。ちょっと油を抜きたい。心も体も。 全て抜いた後に、なにを入れるのか自分で決めたい。そんな気持ちである。 🥟今日の反省🥟 ・まさかこんなにも焼き、水で違いがでるとは。もちろん

          デトックス餃子〜抜き差し調和編〜🥟インスタントな救済などクソ喰らえ

          デトックス餃子〜頭の掃除編〜🥟餃子をつくることが餃子を創ることになるのだ

          昨日、いや、これは一昨日の餃子のことである。 昨日はこの餃子のおかげで"掃除“というものができた。 収納方法も、自分が面倒にならない方法を考えることができた。 これはすごいことなのである。だって、わたしは苦手なのだ。それらの全てが。 それはひとえに一昨日作った餃子さんのおかげなのである。 もはや1日空いただけでだいぶ昔の出来事のような感覚になる。最近1日が驚くほどにはやい。めまぐるしい。動いている。いいことだと。 だけれど、目まぐるしすぎて、頭とこころが追いつかなくな

          デトックス餃子〜頭の掃除編〜🥟餃子をつくることが餃子を創ることになるのだ

          トマトと卵のガラムマサラ餃子🥟餃子は餃子をつくるしか、もうないのである

          なんだかものっすごく体力が落ちたなあ〜と思い、なかなか餃子をつくりだせなかった今日。 でもでも、よくよーく考えると、ほぼ毎日餃子をつくり、買い出しをし、最近はイチナナの配信にも勤しみ、今週は都内に2回もでて、バイトまでして、明日も朝からバイトがあって、となかなか忙しい毎日なのだ。 1年前のわたしだったら、たぶん精神体力ともに疲れて1週間は充電していたと思う。 意外とスタミナがついている。自分にびっくりだ。そして、それに気づけなかったのもびっくりだ。 いつのまにか、周り

          トマトと卵のガラムマサラ餃子🥟餃子は餃子をつくるしか、もうないのである

          かえってきた王道餃子🥟自分の好き嫌いどうしたいこうしたいを大切に

          復活の力をかんじる!!!勘も調子も戻ってきていない!!!だが!!!パッションが蘇ってきた感じがあるのだ!!!!! そう、どんなに高い小麦を使っても、新鮮な食材を揃えても、たくさんの調味料をもっていても、パッションはがなければなんの意味もないのだ。それは餃子ではないのだ。 なんか、もっとできる、こう、もっとあぁしたい、こうしたい、がでてきた。やりたい。やりたいのだ!!! いい兆候である。やるぜ、おれは。 もっとこうしたい、悔しい、それが大事なのだ。 なにより、今日食べ

          かえってきた王道餃子🥟自分の好き嫌いどうしたいこうしたいを大切に

          涙のトド肉餃子🥟いやお前トド肉おまえさあ、いやでもきっとワイが悪い

          悲劇は繰り返される、何度でも。 そんな煉獄のトド肉餃子 今日はある意味記念の日であった。 人生で三度目の美味しくなさすぎて餃子を残したのだ。 いやもう、食べるたびに涙が出てくるのなんのって。 食べれば食べるほど頭痛がする餃子を作ったのも食べたのも初めてだった。 ショックなはずなんだけど、いやもう無理すぎてそこを超えていったな、という感じであった。 決して不真面目に作ったわけじゃないけど、ある程度はじめての、しかも入手がそんなに簡単じゃないものだから、わりと恐る恐るや

          涙のトド肉餃子🥟いやお前トド肉おまえさあ、いやでもきっとワイが悪い

          カニカマ入りたまご餃子🥟孤独を愛すると餃子がうまくなる

          餃子は本当に本当に精神状態がでるんだよな、不思議なのだけれど。 中でも顕著に出るのがたまご餃子で、たまご餃子は気持ちにブレがあると本当に見た目も味もガタガタの出来栄えになる。

          カニカマ入りたまご餃子🥟孤独を愛すると餃子がうまくなる

          リベンジマグロ餃子🥟餃子は己の鏡なのだ

          餃子は生き物だ。接しかたによっては友だちにも恋人にもなれる。だけど、その一方で獰猛さも持ち合わせている。ものすごく鋭利で、抑えようのない何かにもなる。 素直なのだ。だから、餃子の前では嘘はつけない。集中出来ずに作ったなら、餃子は簡単にわたしに牙をむく。 自分の問題なのだ。わたしの感覚ひとつで簡単に良くもなるし悪くもなる。 つくるということは、幾通りもある無限の選択肢の中で瞬間的に感覚的に、でもある程度の経験に基づいて自分で決めていくことだ。 誰の意見でもない、自分の感

          リベンジマグロ餃子🥟餃子は己の鏡なのだ

          びんちょうマグロと大根の餃子🥟燃えてきたぜ!!!焦ってきたともいう!!!

          味や下処理、加熱によってどう変化するかなど、はっきりわからない食材、調味料、スパイスがありすぎる。というかほとんどわからない。 そう痛感した今回の餃子であった。 わたしは何にもわからない。 天才じゃない。センスもない。だからひたすら作るのだ。ただひたすらに、作り上げることをするのだ。 それだけが、わたしの人生なのだ。 道のりは、遠い、恐ろしいほどに、遠い。遠すぎる。 金も体力も時間も足りないのだ。もっともっと己の餃子をみつめなければ。 本当は1日2餃子、かなり理想

          びんちょうマグロと大根の餃子🥟燃えてきたぜ!!!焦ってきたともいう!!!

          10年前の自分の餃子🥟過去との訣別、そして自我の再生

          なんだか探偵に罪を暴かれる殺人犯のような、そんな気持ちになった。 今日の餃子は、実は昔、本当に昔10年前とかに作っていたレシピを思い出して作ったものだった。 なぜそんなことをしたのかというと、まあ理由は色々ある。なんだかやる気がでないような、最初の頃のもっともっと燃えたぎるような熱い気持ちを思い出したいだとか、そんなものだ。 でも一番は、"自分が好きな餃子"がわからなくなってしまったのだ。 作っても作っても、なんだかしっくりこない。だから、自分の目指す餃子がなんだった

          10年前の自分の餃子🥟過去との訣別、そして自我の再生

          ホタテと春菊のコーンビーフ餃子🥟おいしいは集中力がすべてを決める

          今日はなんだか、すんごくすんごく邪念が多く、バランスの悪い餃子さんであった。 全てはわたしが悪い。 なんというか、餃子のおいしさをかなりタンパク質頼りにしてしまったというか。ものすごく俗になってしまった。 別に、"コーンビーフ"自体は俗ではない、と今は思う。でも、その使い方に問題があったし、そもそもその食材の性質をしっかりと認識してなかったことが原因のように思う。 食材の把握って大事だ。そして、それを覚えていることも大事だ。ずっとは覚えていなくたってライブ思い出すこと

          ホタテと春菊のコーンビーフ餃子🥟おいしいは集中力がすべてを決める

          まるごとマッシュルーム餃子🥟生きる全てが餃子とシンクロしているということ

          餃子と自分がシンクロする、というのはよくあることで。 この記事の餃子は昨日作った餃子なのだが、昨日の餃子はすごかった。いろんな、本当に色々な意味でシンクロしていた。 どの辺が、というとそもそも昨日の餃子さんであふマッシュルーム餃子さんは、かなり形的に無理があった。 無理矢理詰め込まれている状態で、皮は破けるギリギリ、なんなら破けたものもいる、出来上がりの形はもう歪そのもの。

          まるごとマッシュルーム餃子🥟生きる全てが餃子とシンクロしているということ

          ラムと春菊のスタミナ餃子🥟心の中で餃子たちがスマブラしてとんでもないことになった話

          なんだか作りながら、心の中でさまざまな餃子たちが乱闘していた。 みんなそれぞれの主張は一貫していて、どうして長い間放っておいたのかと、どうしてもっと一緒にいてくれなかったのかと、どうして本当に作りたいものをワガママに作らなかったのかと。 そんな餃子たちでせめぎ合っていた、 関東にきて早2年、なんだか自分の餃子がわからなくなっていたように思う。 人と暮らして濁ったのか、わたしが弱かったのか、その両方なのだろう。

          ラムと春菊のスタミナ餃子🥟心の中で餃子たちがスマブラしてとんでもないことになった話