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心のひずみ。

徳之島に住み初めて5月で丸一年が過ぎ、
2年目になった。
毎日の暮らしは楽しい。
はずだった。
いや、楽しいことは楽しい。
島に来たことは後悔していない。
むしろ来て良かったと思っている。

でもそんな単純で簡単な日々ではない。
少しずつ何かがおかしくなってたのかもしれない。

“何かを成したいと思って来たのに
まだ何も成せていない。”
そんな思いがずっとあった。
でも自分でゼロからするのは勇気が出ない。
なら今あるものを変えていくのはどうだろう。

ある園の当時の園長先生が熱心で、
高い理想に向けて園をより良く変えていこうとしていたことも、
派遣という立場が違う私にもフラットで、2人で保育の議論をしたことも、
今のままでこの園を何か変えられるんじゃないか、って思うきっかけだった。

そして、変えていくの楽しそう、
私ならこのクラスをこうしたい、っていう思いが強くなって、
園長先生や派遣元の人にもお願いして、できるだけ長くその園にとどまらせてもらえることになった。
当初から分かっていたことだけどその園長先生は今はこの園にはいない。

園長がいないから、園長の想いを理解してる私が何かひとつでも変えないと。
園を変えたいって宣言したからやらないと。



4月が過ぎ5月になり何もしてなくて焦っていた。



でも、難しかった。
私は結局、その園の正職員にはならなかった。ただの、派遣だった。ちょっといろんな保育園を見てきてるだけの。
課題に感じたことを伝えるのは苦手だった。頭の中では否定的な言葉ばかり浮かんでいた。
だから、すごく気を遣った。
立場も気にしていた。
ひとりだけ楽(らく)してるやつが何言うの?って思われると思って小さくなっていた。
それに昨年度はいなかった先生との関係性がなかなかつかめなくて。
園の中で小さく息をしていた。

生意気に思われないように。
見下さないように。
批判にならないように。
嫌われないように。

周りの目が気になり
なかなかアクションおこせない。
でも時間は過ぎていき、何か取り組まなきゃと必死だった。
でも立場的にはそこまで求められてなかった。
一人で空回っていた。
やりたいことと言えないことの狭間で苦しんでいた。

言えないからかおどおどこそこそしていた。
後ろめたさが多かったからだろうか。
だんだん、自分を守るようになった。
嘘をつくようになった。
言うべきことを言わないこともあった。

いつからだろうか。
子どもに対する態度が丁寧じゃなくなってた。
京都で保育士してた時にはしてなかったことを平気でするようになった。
動くのが遅くなった。

いつの間にか、
子ども中心じゃなくて自分中心になっていた。
他の先生にどう見られているか気になっていた。
自分が自分じゃなくなってた。
自分が嫌い。
でもその嫌いな自分から脱出できない。
人にも嫌われたくないから。


そして、嘘が嘘を呼びどうしようもなくなって。
ある日めちゃくちゃやらかした。
一日でいけないことをいくつかしてしまった。
その日の夜泣いた。


そして思った。
今の生活楽しくない。

これはよくない。こんな風に思うために島に来たのではない。
とりあえず
何かしなきゃという思いを捨てて、
ただ周りの言われたことだけする派遣に戻ろう。
とりあえずそうして周りの信頼回復に努めることが先だと思った。

その日は死にたくて、保育士辞めたくて仕方なかった。
けど、ここで辞めたら一生引きずる。なので長くいたいと申し出た期間は頑張ろうと決めた。


保育を変えたいと思って頑張ろうとしてたけど、結果的に想いと全く逆の行動しかしてなかった。
いつしか危険意識も薄くなり、ヒヤリハットが起きてしまった。
優先順位をつけるのがもともと苦手な私はいろいろ道を間違えてしまっていたみたいだ。
私の保育に対する深い想いは、ひとつも態度には表せてなかった。

「うちの園の方針とやり方があるからそれに妥協してもらわないといけないこともある。」って言われた。
「子どもに事故が起きた時に立場は関係ない」とも。
いや、上の立場の先生たちが言ってることってよく分かるし、私もそう思ってることなんだけど。
自分では実践出来てなかった。
行動では現れてなかったけど、
自分が頭の中でその時どう思ってどうしてたかを伝えられてたら良かったのかもしれない。
でも出来なかった。

保育が嫌になりかけてる自分。
保育を変えたいはずが、自分が変わりたくない方向に変わってしまっていた。
なんでこんな自分になってしまったんだろう。

自分は何をしたかったんだろう。



変わっていく努力をしなきゃいけないのは自分なのに。何を変えるにしても自分から。自分が意識してアップデートしていかなきゃ。


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