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しょせん他人事ですから「アーティスト偽動画編」感想

「SNSにどっぷり浸かるとモノ申したくなる。そこから書き込むまで、あと一歩だよ?」


「アーティスト偽動画編」(2〜3話)は、超絶怒涛の人気兄妹アーティスト「ヌーヌー」の偽動画が流出しデマが拡散され、兄リオがヌーヌーを守るために炎上と戦うことを決めるが、そこから誹謗中傷の終わらない連鎖が始まってーーというストーリーだ。何かと芸能界の「炎上騒ぎ」が多い昨今、タイムリーな話題として捉える人も多かっただろう。
「主婦ブロガー炎上編」との大きな違いは「加害者が明確な悪意を持っていない」ところ、そして「正義感の暴走」が描かれているところだ。最初は沈黙を貫くヌーヌーに対して誹謗中傷の銃口が向けられていた。しかしリオの真摯な会見を受けて世論はひっくり返る。今度は誹謗中傷をしたアカウントに対して一斉に銃口が向くこととなる。そこに炎上を楽しむ愉快犯も加わって、身元が特定されるアカウントが現れて、「ネット上での炎上」が「現実世界での破滅」へと発展していく。

物語の中では「七色のおっちゃん」というセクシー女優大好きおじさんのアカウントが標的となった。七色のおっちゃんは娘と話すまでヌーヌーの存在すら知らず、ましてやヌーヌーの曲などひとつも聴いたことがなかったような中年男性だ。しかし偶然目に入ったヌーヌーの偽動画を安易に信じて、軽はずみな気持ちで拡散してしまう。そこにあったのは悪意というより一応の正義感と、あとは愉快犯的な気持ちだろう。会社のPCでSNSをやるのはどうかと思うが、それを除けば七色のおっちゃんはどこにでもいるちょっと偉そうな普通のおじさん。家族がいて社会的な地位があって、根っからの悪人ではない。しかしそれを書き込んだのがどんな人か、そこに悪意があったかなかったかなんて法律を前にすれば関係ない。その投稿が「権利侵害」と見なされれば法律は逃してくれない。軽はずみな投稿の結果、七色のおじさんは身バレにまで発展し、家族からの信用も社会的な地位も失うこととなってしまう。「たかがSNS、されどSNS」な現代社会の恐ろしさをまざまざと見せつけられるストーリーとなっている。

そしてSNSが発展した社会で厄介なのがまさに七色のおっちゃんを破滅に追いやった「正義感の暴走」だ。特定されたおっちゃんの会社に電話をかけた人々は大半が愉快犯だろうが、中にはヌーヌーの熱心なファンもいたかもしれない。ヌーヌーのファンではなくても会見を見て感銘を受け、「自分が誹謗中傷犯を懲らしめてやろう」と思い行動に移した人もいたかもしれない。現実社会で行動を起こさなくても、おっちゃんを始めとした誹謗中傷犯のアカウントを晒しあげてSNS上で攻撃していた人の大半は正義感の暴走と言えるだろう。いや言い方を変えよう。「正義感を大義名分とした攻撃しても良い正当な権利」が人々を動かしたのだ。最近の芸能人の炎上騒ぎを見ているとその恐ろしさが分かるだろう。攻撃をしても良い対象が見つかった時、正義感という大義名分を得た時、人の判断能力は簡単に狂ってしまう。ましてやそれが集団となった時、「悪を制裁する自分たち」に酔いしれた人々の暴走は加速していく。例えば木村さんのように明確な悪意がある方がまだマシだ。きっかけさえあれば自分の言動を悔い改めることだって不可能ではないのだから。でも正義感の暴走は違う。普通では許されないような相手を追い詰める言動でさえも「正義の名のもとに」許されると錯覚してしまう。その攻撃は新たな攻撃対象が見つかるまで止まることはないのだ。保田の言う通り、こうなったらもう炎上は誰の手にも負えない。

終わることのない連鎖に終止符を打ったのが、最初の被害者であるヌーヌー本人たちだった。伝えることが苦手な妹リホがカメラの前で真摯に想いを伝え、「復活ライブ」と称した路上ライブでヌーヌーとして多くの人々に歌を届けた。その行動は人々の心を動かし、「誹謗中傷はやめよう」という流れに繋がった。ヌーヌーを守るために戦うことを決めたのは間違っていない。でもその結果、人生を狂わされた人がいたこともまた事実だ。その全てを背負ってこれからも歌い続けるというヌーヌーの決意に涙した視聴者も多かったことだろう。その一方で完全な被害者であるはずのヌーヌーが心を擦り減らし、罪悪感に苦しみ、葛藤する姿にはやり切れないものを感じた人もいたはずだ。有名人の言動は影響力が大きく、その分重い責任も伴う。だからこそ簡単に「開示請求すれば良いのに」なんて言えない。しかし大切なものを守るために戦わなければならない時もある。ドラマを通して有名人とネット社会を取り巻く厳しい現実を突きつけられた。

「アーティスト偽動画編」見ていて感じたことは、背筋がひやりと凍るような恐ろしさだ。同じようなことが現実世界で起こった時、もしかしたら自分も、七色のおっちゃんの立場になるかもしれない。深く考えずにデマの拡散に加担してしまう可能性だってあるし、悪意がなくても麻帆さんのように身近な人にもデマを広めてしまう可能性だってある。あるいは正義感という大義名分の虜になって、誰かを執拗に攻撃してしまうかもしれない。例えば大好きなタレントが悪質なデマによって活動が脅かされた時、私は冷静な判断ができるだろうか。「私が守るんだ」なんて考えて黒い感情の渦の中に取り込まれてしまうのではないか。
「SNSにのめり込んでいたらモノ申したくなる。そうなったら書き込むまであと一歩。」
誰だって加害者になり得るSNS。人間の醜い側面を炙り出すその危険性を理解しながら適切な距離をとっていきたいものだ。

https://www.tv-tokyo.co.jp/hitogoto/

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