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駅で迎えた朝日

自転車でブラブラしていた頃のお話です。

高知駅

ちょうどいい宿泊地が見つけられずに日が暮れてしまい、開き直ってそのまま走り続けて駅に着いたのが23時過ぎで、しばらくベンチに座っていたら終電だからと追い出されて、仕方なしに駅の外のベンチでボーッとしていたら、ホームレスっぽい人(当時は別の呼び方だったと思いますが)に話しかけられてしばらく雑談したり、警察の人に注意されたりで、それなりの緊張感のなか、ふと見れば空が白み始めたので勢いにまかせて桂浜へ行き、竜馬像と日本の夜明けを眺めました。

防府駅

ゲリラキャンプなら光駅付近にできそうな場所があったような気がする、という知人のざっくり情報をあてにしてみるも、どうもその日はそんなことをしたら大変なことになりそうな気配が凄かったので、急遽輪行して、「なんとなく」なのか「人が多そう」くらいの理由だったのか、防府駅で下車し、ベンチの段差を電話帳で埋めつつ、寝転がりつつも一睡もせずに、やっぱ安全はお金で買うものだよな、なんてことを考えてました。

萩駅

山口県(というか長門)の山の中で死にそうになったというのはともかく、ようやく里に下りて、ふと見かけた温泉の日帰り入浴で生き返っていたら日が暮れてしまい、あてどもなくとりあえず萩の城下町へ向かったら思いのほか人も車も少なくて、そのままふらふらと萩駅に着いた所で気力が尽き、まあいいか、で、駅前のベンチに座って時間を潰し、途中から下半身だけ寝袋に突っ込んで、ぼんやりと、なんだか予想を遥かに上回る静けさに包まれながら、たしか2時間くらい眠ったのですが、よくよく考えてみたら防府、萩と、2日連続で駅のベンチなのでした。

益田市某所

ゲリラキャンプに失敗した挙げ句に開き直って、駅ではないのですが、某公共施設の玄関先で雨露を凌ぎつつひと眠りして、さて迷惑がかからないうちに撤収しようと思った矢先に新聞配達のおじさんに見つかってしまったのでした。

豊橋駅

そろそろ帰るか、と、全くの無計画で益田駅で始発に乗り、当時住んでいた神奈川へ向かったのですが、在来線のみでは当然のごとく電車がなくなり、辿り着いた末の豊橋駅の改札前で、なぜか10人くらいいた始発を待つ人達に混じって横になったのですが、始発から終電までの列車移動でそれなりに眠ったこともあり、見知らぬ土地ということもあり、警戒して一睡もせずに、文庫本を片手に始発を待ちました。

手稲駅

いきなり北海道へ飛びますが、ここもゲリラキャンプ失敗で、そもそも大きな街でそんなことをしようってのが間違いのもとで、ちょいと郊外へ出ればどうにでもなるのですが(今はどうだか知りませんけど)、んー、なんか、もう、面倒くさいな、なんて思ってしまうと駅のベンチに座り続けることになります。

長万部駅

雨に降られて駅に逃げ込み、様子を見ていたら日が落ちてしまったものの、同類が数人いたので、喋りつつ離れつつ軽く眠りつつ、しかし雨はやまぬまま夜は明け、朝刊を買ってみたら台風とのことで、暇なので新聞を隅から隅まで読み、軽く眠りつつ、別の新聞を買って隅から隅まで読み、軽く眠りつつしてたら日が暮れて、三泊は勘弁してほしいな、なんて思いつつも朝になってみれば快晴で、しかしわりあい元気に走り始めたのでした。

函館駅

ここは普通に始発を待っていたのですが、疲労がたまっているのは自分でもよく分かり、ちょっと気が緩めば爆睡しそうだったので、寝るのは列車のシートで、ということで、横になるどころかろくに座りもせず、一晩中駅構内を徘徊しながら朝を迎えました。

道の駅 大滝温泉

唐突に秩父へ飛びましたが、行き当りばったりで、まあ、どうとでもなるだろう、が、どうとでもならず、日帰り温泉でさっぱりしたものの、宿は見つからず、結局は「えーい、面倒だ!」で、敷地の隅にあった四阿(あずまや)を借りて、保険で持ってきていた薄い寝袋で夜露をしのぎました。


あくまで昔のお話ですので。
良い子の皆さんは真似なさらないように。


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