見出し画像

映画の話『そして僕は途方に暮れる』

藤ヶ谷くんが、その撮影の過酷さに、続編の話があっても断りたいという話を何度かテレビで見かけて興味はあった。
その後、「そして僕は途方に暮れる」が、本当に、懐かしい大澤誉志幸のあの『そして僕は途方に暮れる』なのだ、とわかって、「あ、観よう」と思った。
何故だろう。
申し訳ないけれど、特に大澤ファンだったわけではない。
でも、きっと何かある、という期待が生まれたから。

前田のあっちゃんが、藤ヶ谷くんの疲弊ぶりを「小鹿のようにゲッソリしていた」と表していたコメントも見て、ますます興味が出て。

ネタバレも入ると思うので、これから観る予定の人は読まない方がよいかもしれません。

殺人事件が起きたり、謎を解いたりはしません。
クズ男がひたすらに面倒な人間関係から逃げて、次の寄生場所を探してはそこでもクズで、相手にそれを指摘されて自分のクズっぷりに向き合わされそうになると、荷物をまとめてソッコーで逃げる。
責められることから逃げて逃げて孤独になっていく。

暴力をふるうとかそういうわけではなくて。
ただ、クズ。
働く気力もなく、面倒なことは他人任せで、自分勝手な生活ルールを押し付けることに疑問ももたない。

藤ヶ谷くんがまぁ見事にクズっぷりを演じてくれていて。
何度怒られても直らないクズ。
頼りないのに見捨てられないのは何故なのか。
特に愛すべき理由も見当たらないのに、みんな、こんなクズを我慢してくれる。
まぁ、結局みんな限界が来ちゃって、向き合おうとした途端に藤ヶ谷くんは逃げてしまう。とにかく面倒はごめんだから。

今まで近寄らなかった実家で一人暮らしの母親は、身体も不自由なのに、仕事も続けていて。指の関節も曲げづらいような身体で用意してくれたご飯、運ぶくらいのことはしろよ、とか、もう、とにかく始終イライラさせられる。
藤ヶ谷くん、ごめんね。でも、見事にイライラさせられたよ。

そして、このクズの父親がこれまた見事なクズ。
トヨエツ、ナイスなクズっぷり。

離婚した父親と偶然出会って、身を寄せる。
この父親は永遠にクズだから、知人にお金を借りて逃げて、パチンコをしてという毎日を過ごしている。
薄暗い狭いアパートで、クズ親子ふたりで炬燵に入って、スマホの電源を切って、世間から離れてじっとり過ごす。

あくまでも「物語」の世界だけれど、そこに出てくる登場人物、その背景がリアルで、全てが重なりあうことは、現実世界でそうそうあることは稀であっても、その少しずつは、きっと、ごろごろ転がっているもの。
どの人物の心情も十分想像できて、イラついたり、悲しくなったり。

どの役者さんも、この人がベスト、と思えるくらいに、はまっていました。
姿かたちも声の温度感も。

もう一度、劇場で観たいかと言われたら、「他にも観たいものがあるからなぁ」ということで、行きはしないけれど、もう一度観たい気持ちはある。

感動はしない。
一瞬ホロッとくるシーンもあるけれど。
でも、そういうことじゃない。

ただ、クズ父が息子に教えたこと。
いよいよ追い詰められたら、劇中の主人公になったような気持ちでこう思え、というところがこの作品の存在価値。
この一言は、これを観た人全てのこれからの人生の中で、どの程度になるかはわからないけれど、支えになってくれるのではないかと思う。
少なくとも、私は、あれから何度か思い出している。

「面白くなってきた!」
頭の中で、藤ヶ谷くんの顔が蘇る。